一年後

2021.02.03

 太宰が首領になって1年経った。仕事は順調だ。流れも決まってきたので、イレギュラーな対応をする回数が減っている。
 太宰はマフィアのくせに孤児院を作ると云いだした。マフィアが慈善事業だなんてどうかしている。織田がかつて、孤児を引き取って育てていたと聞いたことがある。その影響だろうか。構成員には名目上、将来危惧されている人員不足を解消するための手段だと説明してある。孤児院で優秀な人材を探し、マフィアに引き抜くのだ。太宰には何か考えがありそうなので、そっとしておくことにした。
 最年少幹部としてマフィアに居た頃と比べて、太宰は何だか丸くなったと思う。物理的にも心理的にも、無闇に人を傷付けなくなった。部下もそれで太宰に接しやすくなったのだろう。以前は意見や要望がある時、俺から伝えて欲しいと頼まれることが多かった。今は俺以外の幹部も、太宰と本格的にやり取りをするようになった。
 組織としては本来喜ぶべき事柄なんだろうと思う。でも俺は、素直に喜べずに居た。太宰を取られた気がしてしまうのだ。「首領」という名の遥か高みへ行ってしまう気がした。それがなんだか寂しい。

 俺は、太宰の執務室で溜まってきた書類を整理していた。太宰は作戦を立てるための資料を読んでいた。書類を選別していると、ふと、寂しさが込み上げてきた。最近よくあるのだ。何とも云えない寂しさが、心の中をモヤモヤさせる。鬱陶しい。その時内線が鳴り、太宰が受話器を取った。
「……うん、分かった。今なら大丈夫だ。じゃあ、待ってるね」
 どうやら、誰かがここに来るらしい。
「書き直した書類を提出するってさ」
「そうか」
 俺は気持ちを切り替えようと頭を左右に振った。今は仕事中だ、集中しろ。それでもなかなか集中出来なくて、頭が勝手に太宰のことを考えてしまう。寂しいから触れて欲しい。皆ばかりではなく俺を見て、構って欲しい。
 問題なのは、仕事が終わってからのプライベートな時間だけでは満たされなくなっていることだ。仕事が終わり、太宰と自宅に居る時は今まで通り。ふたりでゆったり流れる時間を共有している。この、何でもない時間が大切だと思うことになるなんて思っていなかった。仕事内容は相変わらず物騒だが、太宰と過ごすありふれた日常は愛おしい。だからこそ、多くを望んではいけないと思うのだ。なのに、心はどんどん太宰を求めてしまう。仕事の時までも、出来るだけ太宰の側に居たいと思うなんてもってのほかだ。仕事に個人的な思いを持ち込むべきではない。
 嗚呼、どうすればいいんだ。さっきから書類の文章が判別出来ない。他ごとを考えながら、仕事なんて出来るわけないじゃないか。最近本当に、書類仕事を捌くスピードが落ちている。良くないことだ。どうすれば。どうすれば……。ぐるぐると思考し始める。どちらかひとつのことしか集中出来ない。ギリギリ読むフリは出来ていたが、すっかり手が止まってしまった。俺は、この寂しさをどうすればいい。太宰と一緒に休みを取ってみようか? いや、そんなことは出来ない。首領である太宰の時間を俺のわがままで奪うなんて考えられない。太宰の匂いがすると落ち着くから、太宰のシャツを拝借して、俺の執務室に持って行こうか? 事務仕事は捗りそうだ。じゃあ、出掛ける時はどうすればいい? その時は、そうだな、任務前に電話すればいいのかもしれない。声を聞けたら、きっと安心出来る。
 そして、あれこれ考えるうちにひとつの欲が浮かんできた。太宰が俺のものだと見せつけたい。勿論、首領としての太宰はみんなのものだ。でも、それ以前に、太宰を太宰たらしめているのは俺だと思う。自意識過剰ではあるし「太宰」という人間を決めるのは太宰自身ということも分かっている。今までの経験を経て、プライドや矜持などのしがらみを取っ払った結果、今の俺達はお互いに干渉し影響する部分が広くなってきている。だから俺は、片割れの太宰を自分のことのように感じてしまう。かつては一番遠い存在だったのに、今では一番近しい存在なのだ。
 太宰は如何にも平気そうな顔をして接しているが、きっと俺と同じで寂しいんだと思う。俺以外の他人と親しくなる度、俺だけを見ていた分、距離が余計に遠のく気がしてしまうのだ。だから他人に、見せつける必要がある。他人に俺達を、知ってもらわねば。ふたりだけではこの寂しさを解消出来ないのだ。他人に見られながら太宰に抱かれる所を想像する。優しくて甘い声、俺を求める野性的な瞳、愛撫してくれる手。どれも、俺しか知らない。欲望がむくむくと育っていくのが分かった。もう、我慢出来ない。
「だざい」
 珍しく甘えた声で呼ぶと、太宰は「なぁに」と俺を見てくれた。太宰に歩み寄り、椅子に座っている太宰の膝に乗り上げた。
「どうしたの?」
 俺は無言のまま、そっと太宰に口付けた。顔を離すと、太宰は俺をじっと見つめた。
「もしかして寂しいの」
 素直になれない部分があり、はっきりと肯定出来なかった。その代わりに太宰の肩口に額をグリグリと押し付けた。
「そっか、寂しく思ってくれたんだ。実は私も、最近ちょっと寂しかった。中也ばかり見ているわけに行かなくなってきたからね。今の私は首領だから」
 ほら、やっぱり太宰も寂しかったんじゃないか。少し骨ばった手で頭を撫でられた。太宰の意識が俺に向いていて安心する。
「だざい」
「なんだい」
「シたい」
「……君ね、私がこの前ここでシたいと云った時は却下したクセに。我が儘だねぇ。もうすぐ人が来ちゃうけど、いいのかい?」
「見られても、いいからっ」
 俺は太宰の腕を掴んで必死に訴えた。
「わぉ、大胆だねこれまた。君が部下に嫉妬だなんて珍しい。ひとつだけ、今から来る部下にイく所は見せないで。私の特権なくなっちゃうでしょ。分かった?」
 太宰に云われ、寂しさの中に嫉妬が潜んでいたことに気付いた。そうだ、俺から太宰を奪わないで欲しい。
「わかった」
 返事をするやいなや、太宰は俺のジャケットとベストを脱がせていく。そのままバサリと床に落とした。クロスタイも外され、デスクの上に置かれた。
「本当はえっちな君なんて誰にも見せたくない。私だけが知ってる姿だもの。でも、中也が見せつけたいって思ってるなら私は協力しよう」
 俺のワイシャツのボタンを外しながら太宰は云った。俺の考えなんて、いつもお見通しなんだ。恥ずかしくもあるが、分かってもらえたと思うと嬉しかった。
「背中でも君の素肌は見られたくないから、これは羽織っておこうか」
 ボタンを全て外し終えシャツをはだけさせると、太宰は俺の胸元に吸い付き、赤い華を散らせる。手が引き出しの方へ向かい、中からローションを取り出す所が見えた。
「手前、ここは仕事場だってのに」
「別に何を入れておいてもいいじゃない、私の引き出しなんだし。それに、今ないと困るのは君だよ?」
 それを云われてしまったら返す言葉がない。むっとした表情のまま無言で居ると、太宰は「分かってくれたならいいよ」と云った。引き出しから取り出したローションのボトルを一旦デスクの上に置くと、俺が穿いているスラックスを脱がせ始めた。途中まで脱がされた所で俺は太宰の膝から降り、まず靴を脱いだ。それから、中途半端に脱がされたスラックスと下着を完全に抜き取る。そして再び太宰の膝に跨った。
「今更だけど」
「何? 云っとくけどもう止めないからね」
 太宰はローションを指に纏うと、俺の後孔に突き立てた。
「手前、俺で勃つんだよな?」
「すごい今更なことを聞くねぇ」
 太宰の指がくるりと内壁を撫でる。指でゆっくりとナカを広げられる感覚は、何度味わっても気持ちがいい。
「だって、いきなりシたいって云っちまったから……」
「勃たなかったら、無理矢理勃たせることも出来なくはない。心拍数をコントロール出来るくらいだからね」
「やっぱり、急すぎたよな」
 太宰の事など考えずに、衝動的に動いてしまったので気になっていたのだ。
「最後まで聞いて。中也相手に、無理矢理勃たせたことは一度もない。これは、ただの生理現象だよ。私は君に、欲情してるの」
「よく、じょう……」
 考えてみれば、今まで躰を重ねてきたのだから当たり前なのかもしれない。そんな風に言葉で表現されたことがなかった。言葉で表現されると抽象的だったことがハッキリして、俺は顔がカッと熱くなるのが分かった。なんだか恥ずかしい。
「ふふ、顔真っ赤にしちゃって。『考えたことなかった』って顔してる。別に、深く考える必要はないんだよ。感じてくれればそれでいい。ほら」
 そう云って太宰は空いている方の手で俺の手を掴み、股関に触れさせた。既にかたくなって布を押し上げている太宰自身を感じる。太宰は確かに、俺に欲情しているんだと理解出来た。
「不安はなくなったかい?」
「不安?」
「君、最近考え事多いなぁと思ってたんだよ。寂しかったみたいだし、不安だったのかなと思って」
「……太宰が慕われるようになってきて、遠い存在になっていく気がしたんだ」
「大丈夫、私は中也の隣に居る。寂しくなったらちゃんと求めて」
 太宰は優しい声音で云うと、挿入している指を前立腺に押し付けた。背筋に快感が迸る。
「ひ、ぁっ」
 背をしならせて俺は嬌声を上げた。
「いっぱい、触れてあげるから。何度でもあげる」
 太宰はぐちゅぐちゅと俺のナカを掻き乱す。時々好い所に擦れて、堪らなく気持ちいい。
「ンっ、んあ……っや、そこ、きもち」
「ちゅうや、ここ好きだもんね。こっちも好きでしょ?」
 太宰はそう云うと、空いている方の手で胸の突起を押しつぶした。
「ひゃっ」
 突然の刺激に、躰がびくりと跳ねた。芯を潰すようにぎゅーっと何度も押しつぶされて、突起はすっかり膨れ上がった。
「ん……、だざ、い」
 快楽を求めて自ら太宰の指に胸を押し付け、腰を揺らす。しかし自ら動いてみても、達するには少し足りない。
「ねぇ、足りないでしょ。もっと欲しい?」
「ほし、い」
 太宰はベルトを外しスラックスを寛げ、陰茎を取り出した。
「自分で挿れてね」
 そそり立つ陰茎に、俺は生唾を飲み込んだ。男の俺から見ても、太宰のそれは立派だ。これから体内に入ると思うと、とても興奮する。軽く握り数回扱くと太宰自身も先走りの液で濡れていることが分かった。それが嬉しくて太宰の瞳を見つめると、太宰はにこりと笑った。
「私をこんな風にさせてるのは、他ならぬ中也だよ」
 ぶっきらぼうに「そんなの、わかってる」と云うと「分かってなかったくせに」と返された。
 太宰の陰茎に手を添え、後孔に入るように位置を調節する。そして、ゆっくりと腰を下ろしていった。深く息を吐き出し目蓋を閉じ、より敏感に太宰を感じる。自らのナカが太宰で満たされていく。熱が内側から混ざり合い、ひとつになる。挿入しきる前の過程さえ、すっかり好きになっていた。
「……だざい、はいった」
「君のナカ、入れただけなのにすごいうねってる」
「だって、きもちいから」
「前より感じやすくなったよね」
「いや、か?」
「ううん、そんなわけないじゃない。余計に手放せなくなった」
 その言葉に安心し太宰に抱きつくと、長い腕で抱き締め返された。激しい動きはしていないが、今は小さな刺激でも充足感を得ることが出来た。暫くそのままで居てそろそろ動こうとした時、執務室の扉をノックする音が聞こえてきた。
「おや、書類を届けに来たようだ。中也、好きに動いていいけど、イっちゃ駄目だからね?」
 俺に念押しすると、太宰は部下に入室許可を出した。入るなり部下は「都合が悪いのでしたら出直しますが」と云った。俺は扉を背にしているので見えないが、部下は俺達を見て取込中だと思ったのだろう。そりゃあデスクで下半身は隠れているとはいえ、この体勢を見れば誰しもそう判断するよな。
「問題ない。大丈夫だから、書類を確認してもいいかい?」
「畏まりました」
 足音が近付いてきて、太宰が書類を受け取った。ポンと後頭部に手を置かれたので、俺の頭が邪魔で読みにくい体勢なんだろうなと思い、太宰の肩口に顔をうずめた。太宰の指が髪を梳いていく。これはこれで心地よい。提出された書類を確認しているのか、紙をめくる音が聞こえてくる。
「うん、この前伝えたところは直ってるね」
「ありがとうございます」
「それでさ、さっき別の部隊の報告を聞いたんだけど戦況が変わりそうなんだ。それを踏まえて修正して欲しいところがある」
「どの部分でしょうか」
「まずね、A班を増員したい。人員は確保出来そう?」
「はい、出来るかと思います。ちょうど別の任務にカタがついた班がありますので」

 ーーーー嗚呼、太宰はすっかり首領になったのだな。

 このやり取りを聞いていて、俺はそう思った。こういうやり取りも、最初は太宰のことを皆が怖がっていたから俺がしていた。それが次第に慣れていって、太宰も皆を少しずつ受け入れて変わっていった。変われなかったのは俺だけなのかもしれない。太宰が再び舞い戻った組織に馴染めるか、俺は心配していた。いくら「俺のため」とはいえ、織田に云われて一度は志した道を違えることになったのだ。本当にそれで良かったのか、今でも断言しきれずにいた。最終的に結論を出せるのは、もっと先になるのだろう。だから俺が今出来るのは、自分がどうであれ、太宰の隣に居ることなのだ。
 距離が近付いて、敏感に太宰自身や周囲の人々のことを感じ取れるようになった。それとは裏腹に、少し離れただけでとても寂しくなってしまう。周囲の人々が皆、太宰に馴染んでいく。太宰もこの環境に、どんどん馴染んでいく。「俺だけの太宰」だったのに、独り占め出来る範囲がどんどん狭くなっていく。「みんなの太宰」が増えていく。とてつもなく、寂しい。心配事が減ったはずなのにもどかしい。太宰が離れていくような感じがして怖い。

 ーーーー俺の隣に、俺の側に居ろよ。

 取らないで、行かないで、俺のことを忘れないで。思いを吐き出すように、徐に腰を動かし始める。中途半端な状態だったこともあり、時間が経ち少し冷静にはなったものの止められなかった。こんな姿を見せて、部下には本当にすまないと思う。でも、太宰は渡したくない。精一杯、太宰を体内に感じようと試みる。
「ふふ、やっぱり動きたくなっちゃったね」
「首領、他に修正箇所がないようでしたら、私はこれで失礼させていただきますが」
 こんな場所に居合わせたくないのだろう、退室したそうに部下が申し出た。
「もう修正箇所はないんだけどごめんね、まだ話すことがある。中也、気持ち良くなってる所悪いけど、止まってくれる? ほら、キスしよう。舌出して」
 本当は奥に太宰が欲しくてたまらない。しかし今の状況は、そもそも自分が招いたことだ。疼く躰を何とか抑えて舌を差し出した。
「ん……」
「いい子。後でいっぱい気持ち良くなろうね。私も我慢してるんだから。分かるでしょ?」
 今までの間太宰自身は萎える様子もなく、ずっと熱を持ち続けていた。つまり、太宰も俺と同じということだ。それが分かると、幾分か安心できた。太宰に舌を絡めとられる。舌同士が何度か擦れあい、口付けは更に深くなっていった。口内を優しく、あやすように触れられる。それはいつになく甘やかで、口付けが終わった後、躰に力が入らなかった。くてんと太宰に寄りかかる。俺の躰にきゅっと腕がまわった。
「さて、待たせたね。突然だけど君さ、中也がこんな風になってるの見たの、初めてでしょ?」
 太宰が部下に問うた。何を云うつもりか分からないが、ひとまず聞いていようと思う。
「はい」
「君が中也に対して抱いているイメージって何かな?」
「中原幹部は強くて仲間思いで、とても頼り甲斐がある方です」
「うん。他の人に聞いてもそう答えるだろうね。なにせ中也だから。でさ、そのイメージから明らかに外れたこの中也を見てどう? 幻滅した?」
「そんな、滅相もないです! むしろ、中原幹部もそういった……その、欲があるのだと安心しました。いつも自分のためではなく、組織のために任務をされているイメージが強いので」
「だって中也。ちょっとくらいハメを外しても、それが中也なら誰も怒らないし幻滅もしないよ。確かに君は強い。でも、だからといって全てを背負う必要はない。周りを頼っても大丈夫だよ。中也にとって頼ることはハードルが高いだろうから、最初は愚痴るくらいでもいいと思う。まぁ出来れば、私を頼って欲しいのだけれど」
 太宰が俺に伝えたいことが、段々と見えてきた気がする。今まで皆に迷惑を掛けないようにと思って行動してきたが、寂しさを解消するために、他人を頼ってもいいのか。ぼんやりと首領だった頃を思い出した。本当は怖かったんだ。自分が任された首領という名の頂点が。自分の理想通りに治めていけるか、皆の期待に応えられるかどうか。更に、前代の首領の願い通りに出来るかどうか。そこから見下ろした世界は、今までと明らかに違っていた。太宰ほどではないにしても、それなりに頭だって使えたし、部下から慕われている自負もあった。当初はやりきる自信があったが、時が経つにつれて人間不信に陥り、俺は壊れていったのだ。
 この部下は、俺が首領だった頃もマフィアに在籍していた。今振り返ると、色々と気遣ってくれていたように思う。書けそうな書類を書こうとしてくれたり、根を詰めて働く俺にコーヒーを淹れてくれたりした。他の部下も多分、色々思いやってくれていたんだと思う。その気持ちを、俺は受け入れられなかった。それだけ組織を守り、維持することに必死で、周りを見る余裕がなかった。プライドもあった。当時、誰にも頼れなくて、頼りたくなくて、ギリギリの状態で嫌々ながらも頼れたのは太宰だった。今だから思う、確かに俺はもっと人に頼っても良かったのかもしれない。
「あと、もっと云っておくと」
「なんでしょう、首領」
「このわんちゃん、寂しがりやなんだ。最近中也以外の人とも私が話すようになったからね」
 俺にとって都合が悪いことを太宰は云おうとしている。すぐに止めようと俺は慌てて口を開いた。
「ばっ、何云ってやがる!」
 案外、他人にセックスしている所を見られることよりもこういう、自分の弱みを曝け出されたことの方が「恥ずかしい」と感じていた。この世界では、弱みが死に直結することも多々ある。弱みを見せないようにするのは当然のことだ。
「中也は黙ってて。中也は君たち部下に嫉妬してたんだよ。それで、こんなことに。ね、とても人間味あふれる人でしょ。私よりよっぽど、人間らしいよねぇ中也は」
「余計なこと云いやがって……」
 口ではそう云いつつも、首領を辞めてもずっと肩にのしかかっていた重みが軽くなったのを確かに感じた。皆から見た「理想の俺」を裏切ることが怖かった。首領だった時は「理想の首領」であろうと必死だった。どちらにせよ、自分や皆からの理想や期待を実現出来ないことが、一番怖かった。出来ないと思いたくなかったし、思われたくなかった。自らの弱みを曝すなんて、俺ひとりでは絶対にしなかった。太宰でなければ出来なかったことだ。
「余計? そんなことはないさ。人間誰しも完璧じゃあないんだから、弱い所もあるよ。弱い所を曝け出して、そういう部分も認めてもらえる人と付き合いなよ。マフィアには、中也を認めてくれる人がたくさん居る。君はだから今までやってこれた」
 たまに太宰は、自分が関係している事でもまるで全く関係ないかのように話す。自ら孤独の方へ行ってしまう。だから俺は、俺だけは太宰の隣に行くのだ。
「俺が今までやってこれたのは手前のおかげだよ、ばかやろう。手前がしたこと、忘れるんじゃねぇ。弱い俺も、最初に認めてくれたのは太宰だ」
「ちゃんと分かってるじゃないか。私が、マフィアに戻ってきてまで隣に居たいと思った君だ。忘れるわけがないし、今更離れる気もないよ。中也、君とは一蓮托生だ。ずっと離さない。死んでからも」
 それは、俺が一番欲しかった言葉だった。俺が隣に居てもいいと、大切な存在なのだと、太宰のモノだと実感したかった。今まで似た趣旨の言葉を云われたことはあるが、太宰のことを信用していないわけでは決してない。ただ、臆病な俺はどうやら何度も云われないとその言葉を受け入れられないらしい。今回他人の前で云われたからこそ、漸く、今まで紡がれてきた言葉たちが真実だと思うことが出来た。嬉しくて反射的に、後孔がキュウッと締まるのが分かった。そのままイきそうになってしまったのを何とか耐える。
「……っ」
「よく耐えたね中也。これで、分かったよね?」
「ああ、よく分かった」
「ってわけで君、帰っていいよ。ありがとう。これ、持って行って。少しだけど迷惑料」
 太宰は小切手を取り出すと額面をサラサラと記入して部下に渡した。
「え、あ、ありがとうございます」
「今日のこと、別に私は口止めしないから。中也の弱み、喋っちゃってもいいよ」
「は? おい、撤回しやがれ」
「いーやーでーすぅ。『今週の負け惜しみ中也』復活させようかなぁ。みんなともっと打ち解けられるんじゃない? そうだ君は知ってる? 『今週の負け惜しみ中也』」
 太宰は部下に問うた。
「はい、聞いたことがあります。私はそれがどのようなモノだったのか存じませんが、未だ大切に保管している者もいるとか」
「なっ……!」
 俺は絶句した。あれをまだ保管している奴がいるなんて。あんな恥ずかしい過去のことを、知っている奴がいるんだ。俺は振り向いて部下に云った。
「お前、持ってる奴を知ってるなら、俺の所にそれ持って来いって伝えてくれねェか」
 残っているなら抹消しておかなければ。するとすぐに太宰がこんなことを云った。
「あ、こんなこと聞かなくていいから。首領命令ね」
「クソ、こんな所で権力使ってンじゃねェよ」
「君は馬鹿だね。私が許可するわけないじゃないか。ほら君、今のうちに退室するんだ。楽しみにしててよ、すぐに発行するから」
「オイ太宰、本気で云ってンのかそれ」
 太宰は部下にひらひらと手を振った。
「では、失礼します」
 部下は丁寧にお辞儀をすると、退室していった。
「行っちまったじゃねェか畜生!」
「そんなことより、私はもう我慢の限界なんだけど?」
 トン、と熱い欲を主張するように押し付けられ、俺は現状を思い出した。
「ンっ」
 一気に快楽がせり上がってくる。太宰の形によく馴染んだ媚肉は、僅かに動いただけで悦喜するようになっていた。
「ねぇ私、よく耐えたでしょう? だから、中也がいっぱい欲しい」
 軽く抽送が開始される。気持ちよくて、ふわふわと宙に浮いているように思えてきた。
「アっ……、おれ、も。だざい……っ、ちょうだい」
「うん、あげる。もーほんと、可愛いなァ。可愛くて仕方ない」
 恍惚とした表情で太宰は云った。徐々に深くなっていく抽送に、太宰を感じる。確かに太宰はここに居る。俺の隣に、俺の側に。存在を感じられたら、あとはもう快楽を堪能するだけだ。与えられるまま感じて、喘いで、太宰を締め付けるだけ。うっとりした顔の太宰はとても綺麗で整っているのに、瞳の奥には情欲の炎が灯っていた。そのギャップが堪らなく好きだ。その表情をさせているのが自分だと思うと、太宰を独り占め出来たように思えた。
「ン、アッ、んっ……、だざっ、だざい」
 お互い顔を寄せて口付けしあう。口付けの合間も、思わず喘ぎ声が漏れた。お互いの吐息が掛かり、その熱さに余計興奮する。性感はどんどん高まっていき、舌をきつく吸われると同時に俺は欲を吐き出した。体内にどろりとした熱を感じ、太宰も達したのだと分かった。しかし、太宰はすぐに硬度を取り戻し俺を激しく穿った。
「や、イったばっか……っ、ぁんっ」
「ごめん、足りない。ちゅうやっ」
 熱っぽく見つめられてゾクゾクする。いつも冷静な太宰が我を忘れて夢中になっている。この俺に。やっぱり太宰は、俺のモノじゃないか。漸く腑に落ちた気がした。

 その後、互いの気が済むまでセックスをした。結局その日は仕事が出来なかった。

「いやー、スッキリしたァ。こんなにシたの、久しぶりだったよねぇ」
「この、精力魔神が……」
 何度絶頂したか分からないほど回数を重ね、俺は疲れていた。今は執務室にあるソファーで休憩中だ。
「中也だって何回も欲しがってたじゃない」
 それは事実だった。太宰が俺を求めていると分かったら、今まで散々考え込んで抑えていた感情が吹き出てきたのだ。抱かれるのは俺でも、太宰が「抱きたい」と思えるなら、躰も心も、太宰は俺のモノだ。それを実感したくてつい、いつも以上に求めてしまった。セックスで俺のモノだと判断するのはよろしくないかもしれないが、言葉以上に感情を感じ取れると思う。言葉でお互いが素直に表現し、コミュニケーションが取れていたら、俺達の間に肉体関係なんてなかったかもしれない。躰を重ねると、太宰の中にちゃんと俺が居ると分かるのだ。だから、どんなにはしたなくても、俺は俺の意思で太宰に抱かれる。

「それはそうと中也、私にお願い事あるんじゃない?」
「本当に俺は、こんなことを望んでいいのか?」
 少しくらい大丈夫そうだと先程、部下とのやりとりで理解は出来た。しかし、長年「望むべきではない」と思っていたことを、僅かな時間で覆すのは難しかった。
「もー、疑り深いね。いいの! じゃあ今回は、半分私のお願いと云うことでどうだい。私も、君と久しぶりにゆっくりしたいし。でも、中也が『そうしたい』っていう思いは、忘れちゃ駄目だよ」
 太宰が「半分私のお願い」にしたのも、首領命令にしなかったのも、俺に望んで欲しいからなのだろう。ここまでされては、お願いしないわけにいかないじゃないか。何より俺が心の底から渇望していることを、また見ぬフリすることは出来ない。心を決めて、俺は口を開いた。
「分かった。……だざ、いや、首領。太宰と一緒に休暇を1日、いただきたいです」
「理由を聞いてもいいかな?」
「おい、知ってるクセに皆まで云わせる気かよ」
「教えて? これは首領命令ね」
 俺の都合が悪い時ばかり、首領命令をしてくる。たまったものではない。舌打ちをし、俺は云った。
「くそ、覚えてろよ……。寂しいから、一緒に過ごしたい、です」
 せめてもの足掻きに、キッと睨みつけて云ってやった。
「あぁほんと、可愛いね君は。1日と云わず3日、スケジュールを調整して捻出するよ」
「そんなにもらって大丈夫か?」
 俺も一応、首領の仕事はしていた。休みを1日取るにも、相当なスケジュール調整が必要だ。それを3日だなんて。部下のスケジュールはもちろん、仕入先、場合によっては客先の予定も変更しなければならないだろう。
「なめないでよ私のこと。そのための頭じゃないか。スケジュール調整は私の仕事でもあるからね。可愛い君のために頑張るよ」
「いつもその位やる気出してくれればいいのになァ。それと、さっきから可愛い可愛い五月蠅ェンだよ」
「云っとくけど私は君のこと、こんなに可愛いと思うなんて思ってなかったんだ。君が死にたいと云ったあの日から、君を見る目が変わってしまった。やっと誰かが、隣に来てくれたって思った。中也ならずっと隣に居てくれるって、私は期待してるんだ」
 太宰の瞳が不安と期待で揺れる。なかなかに重い感情を吐露されたなと思いながら、人のことなど云えないのだと気付いた。
「俺だってもう、太宰が居ないと寂しいし、太宰は欠けてはいけない片割れだし、俺の太宰であって欲しいって思ってるンだぜ。だから、隣に」
 「居てやるよ」という続きを紡ぐ前に、横に座っている太宰に抱き締められた。抱き締めにくかったのか、抱き上げられて膝の上に誘導される。移動すると、再び抱き締められた。
「どうしよう、中也がとてつもなく可愛いし嬉しいんだけど」
「そうか、そりゃ良かった」
「ねぇ、痕付けたい」
 そう云うと太宰は俺の首筋に唇を落とし、何度か吸いあげた。唇が少し離れた後、優しく痕に口付けた。太宰の顔がゆっくり離れていく。付けた痕を一目見て、太宰は「うん、綺麗に付いた」と満足そうに微笑んだ。
「ここ、ギリギリ隠れなさそうなんだが?」
「そうだよ。見せつけたいじゃない、『私の中也』だって」
 太宰がそうするなら、俺だって「俺の太宰」と見せつけたい。
「俺も、付けたい」
「中也が付けてくれるの初めてじゃない? いいよ」
 俺は衝動のまま、太宰の喉元に噛み付くように吸い付いた。太宰が「ンっ」と声を漏らした。きつく吸い上げたので痛かったのかもしれないが、明らかにその声は興奮の色を含んでいた。顔を離して太宰を見ると、うっとりととろけた表情をしていた。
「君に痕を付けられるのも、悪くないね」
 上擦った声でそう告げられ、こちらまで興奮してきてしまった。
「太宰だって『俺の』なんだよ」
 15の頃みたいに頭に思い浮かんだ言葉を、感情にまかせてそのまま吐き出した。なんだかスッキリした。大丈夫、太宰なら受け止めてくれる。
「うふふ、私も君のモノかぁ。一蓮托生なら、そうだよね。私も中也のモノだし、中也も私のモノね。素敵じゃあないか」
 そして、ニヤリと笑って「すっかり、調子戻ったね」と云った。