【注意】
・本人はハッピーエンドのつもりで書いていますが、所謂死ネタになります。

そしていつの日か

2021.02.03

 太宰が首領になってから、何年経っただろうか。あぁいや、これはもう違うんだった。これだけ月日が経つと、状況も変わる。実のところ、太宰はもう首領ではない。
 きっかけは、俺が肺の病に冒されたことだった。今すぐに動けなくなるわけではないが、次第に今まで通りには動けなくなると主治医は云った。病の進行を遅らせることは出来ても、完治させることは無理らしい。首領として頑張っている太宰には伝えたくなかったが、直属の上司である以上、伝えないわけには行かなかった。だから、「最期は汚濁でも何でもいい、マフィアのために死なせてくれ。最期まで一緒に居てやれなくてごめん」と云おうとした時だった。
「じゃあ、中也と一緒に私も引退しようかな」と太宰は云ったのだ。
 太宰との付き合いは長いが、相変わらず訳の分からないことをいきなり云い出す奴だ。太宰が治めるポートマフィアは実に安定している。俺の時よりずっと磐石だ。これをひっくり返せる勢力もない。辞める理由がないのだ。
「ねぇ中也、私の夢、知ってる?」
「美女との心中か?」
「昔はそうだったけど、今は違うんだ」
「じゃあ、なんだよ」
「君と、平穏な日々を過ごすことさ。静かな所で暮らして、一緒に死ぬんだ」
「だからと云って、いきなり引退はどうかと思うぞ」
「準備ならちゃんとしてきた。後継者も、今は揃ってる。あの子たちなら大丈夫だ」
 何年も前から、太宰は後継者を探していた。例の孤児院から後継者候補を見つけて、ずっと育てていた。太宰の後継者、つまり次期首領は20歳になっていた。俺は体術の指導をしていたが筋が良かったし、太宰が後継者に選ぶほどなのだから頭も切れるんだと思う。太宰は自分で一から育てた方が早いと気付いたらしく、後継者以外にも手塩にかけて幹部候補者や部下を育成していた。そのおかげでマフィア内の結束は固くなった。まるで、大きな家族が出来たみたいだった。
「それに、私が作ってきた仕組みは、首領なしでも機能する。中也も知っているでしょう?」
 それは、いざという時のための試みだった。いくら太宰と云えど、いつ死ぬかは分からない。避難訓練みたいなもので、月の中旬に1週間、首領の太宰と最高幹部の俺抜きで仕事をさせていた。最初はトラブルも多かったが、慣れてきた今では途中の仕事もすぐに引き継げるまでに成長していた。首領なしでも機能すると云うのは、五大幹部に首領の権限を少しずつ割り振ることで可能になった。だから、首領の役割が今までと違うのだ。有事の際は今まで通り絶対的な権力を持っているが、普段の運営時は統括役の比率が大きい。幹部に与える権力のバランスも調整済で、ひとりでは乱用できないように他幹部の承認が必要ということにした。
 そう考えるとなんだ、俺が心配しなくても、もうみんな大丈夫なのか。頼られなくなるのは少し寂しい。太宰はそれだけ、マフィア内を改革し続けたんだな。俺が出来ないことをいくつもやってのけた。俺が云うのもおかしいかもしれないが、太宰は良い首領だと思う。いや、良い首領になった。
「分かった。それなら、一緒に引退するか」
 こうして俺たちは、ポートマフィアを引退したのだった。

 空気が澄んでいる、水が綺麗な所の家を買った。築50年程の少し古い物件でも、リフォームされいて古臭くない。和モダンな家は今まで住んだことがなかった。縁側があり、そこからは小さいながらも日本庭園を楽しめる。夜空を見上げれば綺麗に月が見えて、太宰と一緒に眺めるのも悪くない。だからここに決めた。
 今までさんざん裏社会に居たので、流石に経歴までは洗えなかった。担当の部下には「すみません」と謝られたが、こればかりは仕方がないと思う。最初は部下たちが色んな物資を運んできたが、「必要な時は頼むから」と断った。だから、日々の食材や日用品は店まで買いに行く。家事も太宰と手分けしている。マフィアを一歩離れたら、そこには平凡すぎる日常が転がっていた。
 この生活もかれこれ5年程になるだろうか。俺の病状はやはり、少しずつ悪くなっていた。最初は肉体を維持しようと鍛え続けていたが、トレーニングそのものが出来なくなっていった。おかげで、筋肉は随分落ちたと思う。みすぼらしくなっていく肉体を見て、衰えをまざまざと見せつけられてショックだった。今は、走るのはキツいものの、普通に過ごすには問題ない。きっとそれさえ、段々出来なくなっていくのだろう。出来ていたことが出来なくなっていくのは、想像以上につらい。
 何となく、もうすぐ死ぬのだろうと思う。だからなのか、些細な日常がキラキラ輝いて見える。朝起きたら隣に太宰が居て、一緒に朝食を食べる。家事を手分けしてやって、天気が良い日には縁側で昼食を。ぽかぽかした日差しを感じながら庭を眺めて食べる昼食は、マフィアの時より充実していると思う。その後はのんびり読書をして、読んで面白かった本を伝えあう。俺は絵を描く時もあるし、たまに散歩にも行く。夕食のメニューを考えながらふたりで買い出しをして、料理をする。風呂に入って、同じベッドで眠る。あぁきっと、俺は太宰と一緒に居ることが好きなんだろうな。そうでなければ、こんな平和すぎる生活、長くは続かない。

 今夜は満月だから、月見でもしようということになった。酒は呑めなくなったので、温かい茶とブランケットを持って縁側へ出た。一枚の大判ブランケットをふたりで使う。寄り添って縁側に座り、ブランケットを肩に掛けた。やはり、太宰の隣は落ち着く。
「月が綺麗だね」
 突然紡がれた言葉に、俺は驚いた。どこかの文豪が「愛しています」と訳したその言葉。これは、どちら意味だろうか。言葉通り受け取ればいいのか、はたまた愛の告白なのか。突然云われ、俺はすぐに判断出来なかった。
「……」
 太宰のことだ。この科白の意味を、知らない筈がない。それにこれは多分、心中への誘いだ。返しの言葉を思い出し、そう思った。
「中也?」
 考えてみれば、ずっと一緒に過ごして躰を重ねる仲だというのに、好きとか愛してるとか、そういう言葉を伝えたことがなかった。今更そんなことは云えない。この言葉を直接云ってしまったら、関係が壊れてしまいそうでずっと怖かった。そんなこと云われなくとも、「隣に居てもいい」と云ってくれただけで充分だ。そう思っていたのに、これが愛の告白だと気付いてしまえばとても嬉しく感じている自分が居て、少し情けなく思った。太宰にはたくさん支えられたから、もうこれ以上、望んではいけない。
 果てしなく嫌いだと思っていたのに、今となってはとても「嫌い」だなんて云えない。嗜好も考え方も違っていて、違いすぎるが故になんだか鼻に付いて嫌いだったのだろう。理解しようと歩み寄ったら、すっかり唯一無二の片割れになっていた。太宰は一蓮托生と云っていたか。太宰にこれまで抱いてきた感情は色々あるけれど、これらがきっと愛なのだろう。それならやっぱり、死に時なのかもしれない。いつ死ぬかも分からなくなった俺にとって、自由に死を選べる時間はあまり残されていない。それに俺は今まで、「一緒に死ぬ」と云う誘いに対して、はっきりした返事をしてこなかった。だから、愛の告白と共に、今こそ。
「死んでもいいぜ」
 太宰は目を見開いた。此奴が驚く顔を見れるのは滅多にないので良しとしよう。俺だって、手前が考えていることは分かるんだぜ。俺が隣に居てもずっと、太宰の「死にたい」気持ちは変わらなかった。そうでなければ、俺にこんなことを云う筈がないのだ。普通の人間より頭が良すぎて、知りたくもないことまで瞬時に理解出来てしまう。この世の中全て、意味があるようには思えなくて生きる理由が分からない。太宰は孤独だ。その孤独から来る虚しさや寂しさ、そして、汚れてしまった悲しみを、俺は少しでも和らげることが出来ただろうか。
「いいの? ねぇ、ほんとに? 君、意味分かってるよね」
 分かってる。太宰となら死んでもいい。たくさん尽くしてもらった。太宰が「俺と死にたい」と望むなら、俺はその願いを叶えてやりたい。
「あぁ。文字通り、俺は今なら、死んでもいいと思ってる。太宰、本当に月が、綺麗だな」
「私も死んでもいい。中也、心中、しよう」
 月の光が俺たちを照らす中、そっと口付けを交わした。

 最期だと思うと、やはり熱が恋しくなる。俺が死のうとした時のことを思い出すのだ。「あいして」と強請ると、太宰に「今度は勘違いしないでよ」と云われてしまった。あの時と違い今度こそ、愛してくれる太宰を演技と思わずに居れる。
 みすぼらしい姿になっても、未だに太宰は俺を抱いてくれる。体力がなくなったので、激しくは出来なくなったし頻度も減った。俺のペースに合わせて、行為はゆっくりと進む。太宰は辛いだろうに、何度も休憩しながら俺を抱く。いつもいつも、あたたかくて気持ちがいい。それだけは、あれから変わっていない。
 いつも通り優しく抱かれ躰を清めた後、汚れたシーツを取り替えて布団に潜り込んだ。
「死に場所は、やっぱりここだね」
「そうなのか?」
「だって、中也が描いた絵が見えるから。きっと素敵な黄泉路になるさ」
 成程、この寝室には俺が描いた絵がいくつも飾ってある。それらは全て、空中散歩中の景色を描いたものだ。運動が出来なくなったので室内で出来る趣味はないかと考え、思いついたのがこれだった。太宰が首領になって十年の頃だったか、散歩中の景色を教えてくれと云われた。今まで忙しくてなかなか時間が取れなかったのだ。教えてやる機会がなかったので丁度よかった。最初は画材も手軽に入手出来るからと水彩画を描いていたが、次第に物足りなくなり、今では油絵を描くまでになった。自分が見た景色を自分の解釈で描くのは、写真とは違う面白さがあった。太宰に「中也にはこんな風に見えていたんだね」と嬉しそうに云われたので、もっとたくさん俺が見た景色を伝えたいと思い、ひたすら描いた。おかげで寝室の壁には所狭しと俺の絵が掛けられている。
「なぁ、どうやって死ぬんだ?」
「私、今まで色々死に方は考えてきたのだけれど、やっぱり毒だよ。梶井君に作ってもらってたんだ。大丈夫、苦しまずに死ねるから。これが、毒薬だよ」
 太宰はそう云うと、サイドチェストの引き出しから錠剤が入った小瓶を取り出した。そんなもの、いつの間に用意していたんだろうか。
「太宰は本当に、死んでもいいんだな」
「うん。私の最終的な目標は、中也と一緒に死ぬことだったから」
「俺と一緒に居ても、『生きたい』とはやっぱり思えなかったんだな」
「それは違うよ中也。君が隣に居たからこそ、私はここまで『生きよう』と思えたんだ。すごい進歩じゃない?」
 そんなことを思っていたのか。太宰が「生きたい」と少しでも思えたなら、俺もこれまで太宰と一緒に生きていて良かった。
「そうだな。それなら、良かったぜ」
「私、君の病気を知って、中也が先に死んじゃうと思ったら、とても怖くなった」
「あぁ」
「『独り』は慣れているのにね。『一人でも頑張るから』って云わなきゃいけない所なのに、私にはとても、耐えられそうになかったんだ」
「あぁ」
「だから私は、君と心中する。寂しいのはもう嫌だもの」
「俺だって寂しい。おかげで、手前に『生きろ』だなんて云えなくなっちまった」
 死ぬのは怖くない。怖いのは、太宰が隣に居なくなることだ。死んだら同じことかもしれないが、それでも出来る限り一緒に居たい。こんなことを思うのはいけないことだと分かっているが、太宰だけ生きているのも、俺にはもう、納得出来ない。もし太宰が俺と同じ病を患ったなら、俺も太宰と同じことをしただろう。共に生き、共に死ぬのだ。
「中也は、私の予想を超えたんだ。一緒に心中してくれるなんて思ってなかった。あれは賭けでもあった。だから、最期にご褒美をあげる。これは本当のことだし、一度しか云わないから。今まで君が、その身を持って教えてくれたことだよ」

 ――――中也、愛してる。

 穏やかに微笑んで、太宰は云った。太宰がこの言葉を口にするわけないだろうと思っていただけに、その衝撃は凄かった。その言葉を咀嚼し嚥下すると、ドクドクと心臓がうるさくなった。顔の方にも血液がどっと流れたのか、顔が熱い。おまけに視界が歪んできてしまった。なんだ、これは。
「中也、それはうれし涙だよね?」
 そういうと太宰は俺の手を取り、頭を胸に抱き寄せた。背中に腕を回してさすってくる。この感覚を、このぬくもりを、俺は知っている。あぁそうか、確か、悪夢を見た時だった。悪夢に魘される俺を、こうして安心させてくれたんだった。
「……俺も、愛してる」
 抱き締められたまま、くぐもった声で俺はその言葉を紡いだ。云うつもりはなかったけれど、云われたのなら返したい。俺だって、この思いは真実だ。
「もう一回聞かせて」
 太宰は俺の顔を両手で包み込み、視線を合わせた。自分は一回だけと云ったのに、贅沢な奴だ。
「愛してる、太宰」
 涙声になりながら必死に伝えると、熱い雫が頬を伝っていった。
「私、もうやりきったよ。未練はない。中也、そろそろ逝こうか。準備はいい?」
「一緒に逝こう、太宰」

 グラスに水を汲み、乾杯するようにチンと合わせる。先に水を飲んで錠剤を口の中へ放り込んだ。覚悟を決めて、錠剤と水を飲み込む。そして、ふたりでベッドに寝転び布団を被った。布団の中で手を握りあうと、死んでも離れないような気がして安心出来た。数十秒経つと、まずは頭がふわふわしてきた。次に、躰も宙を浮いているような感じがしてきた。
「だざい、これ……」
 懐かしいこの感覚。異能を使って空を駆けていた、あの時の感覚を呼び起こした。
「なぁに? うふふ、ふわふわしてきたね」
「散歩してた時と、おなじ」
「……そっかぁ。じゃあ私は今、中也と散歩してるんだね」
 あぁ、太宰が云った通り、素敵な黄泉路になりそうだ。ずっと太宰と空を散歩したかった。まさか、こんな時に願いが叶うだなんて。
「しあわせだ。俺は、とても仕合わせ」
「ずっと一緒だよ、中也」
 最期に俺は、ちらりと太宰を見た。なんだ、こんな顔も出来るんだな。見たこともないくらい、いい顔してやがる。

 ――――――――数ヶ月後、ふたりの男性死体が発見された。手を繋いでおり個別に火葬が不可能だったため、一緒に火葬された。