卯月 二十九日

2022.4.29

 今日は、中也の誕生日だ。
 一応居候の身なので、今年は何か贈ろうと思った。ちなみに、マフィア在籍時に中也に誕生日プレゼントを贈ったことは一度もない。裏社会最悪のコンビと云えど、常に一緒に居るわけではないのだ。けれども、中也の誕生日に両手に袋を抱えて帰宅しようとしている中也なら見かけたことがある。私達は年齢の割に立場としては上だったので、恨み妬みを抱かれるなんてザラにあった。私の誕生日だって、意外にもプレゼントをくれる人がいたのだ。ただ、中身をよく確かめないと、盗聴器が仕掛けられていたり毒が盛られていたりしていてたまったものではなかった。私に毒を使うということは、それが死に至る程であっても苦しませるためのものだろう。死に至る手段としては遠慮したかった。普通のお店で手軽に買えるモノの方が、安全な確率は高かったように思う。中也の事情はよく知らないが、たくさん貰ったであろうプレゼントの中には、私と同じく悪意が込められたモノもあっただろう。危険なモノかもしれないのに、プレゼントを貰う中也はどこか嬉しそうだった。
 私がプレゼントを贈ったらどういう反応をするのか、単純に興味が湧いたのだ。嬉しい顔をしても、嫌そうな顔をしても私としてはどちらも面白い。問題のプレゼントは、2つ用意した。1つ目は母の日には早いけれど、一輪の赤いカーネーション。ダイニングテーブルの花瓶に一輪挿ししてある。2つ目は堅豆腐。料理と云えるかは分からないが、私にも作れるモノがあったことをすっかり忘れていた。改良に改良を重ねた結果、切ることすらできなくなってしまった。中也の力なら切れるかもしれない。切れなくても粉砕することはできると思う。粉々になっても、中也ならきっと美味しく調理してくれる。どんな味になっているか楽しみだ。
 中也がどんな反応をするか思い浮かべていると、玄関からガチャガチャ音がした。きっと中也が帰ってきたのだろう。
「中也、おかえり」
「ただいま」
 予想通り、中也はパンパンになった紙袋を両手に提げていた。
「うわぁ、ますます増えてるね?」
「そうだな。幹部になってからはやっぱり増えたぜ」
「大変だね、選別するの」
 中也は靴を脱いで玄関に上がった。早速選別するのだろう。中也の足は空き部屋に向かっている。私もついて行った。
「丁度いい、手前手伝えよ」
 もしかしたら爆発物が入っているかもしれないので、中也はそっと紙袋を下ろした。
「えぇ、なんで私がそんな危険を冒さなきゃいけないのさ」
「そのつもりでついてきたんじゃねェのか。あわよくば死ねるかもしれねェぜ?」
「私知ってるもの。こういうのに入っている毒物って、本当にただ苦しむだけなんだよ。経験済みさ。そもそも、そこまで危険なものは拠点で捨ててきているでしょう」
「まァな。でも、数が多いんだよ」
「それなら断ればいいのに」
「『想い』が籠もってるからな。それがたとえ悪意だとしても。そういう奴らの『想い』も、俺は全部受け取るって決めてるんだ」
「なんでそんなことをするんだい? 私には理解できないね」
「そういう奴は、遅かれ早かれマフィアを裏切るからな。ある種の間引きでもある」
「うわ、流石組織の犬。たまにそういうエグいことするよね君も。私の犬だってのに君って人はまったく……」
「フン。手前だってやってたクセに何云ってやがる。手前の方がよっぽどだ。あと、俺は手前の犬じゃねェ」
 このままではプレゼントの選別をするだけで中也の誕生日が終わってしまう。私は素直に用件を伝えることにした。
「調理してほしい食材があるんだ。それで手を打とう」
「なんだそれ。今日は俺の誕生日だろ? 無条件で手伝えよ」
 ふーん、中也は私に対してそういう誕生日の使い方をするつもりなのか。それなら、こちらにも考えがある。
「でも、危険は危険じゃない。今私は一応、居候の身だよ? 探偵社公式の」
 中也は私の方を見ずに選別し始めていたが、その手がピタリと止まった。
「そうきたか。手前はこういう選別が得意だから手伝えよ。何か知らんが作ってやる。で、食材は何なんだ?」
 真面目な中也には、真面目に交渉するのが一番効果的だ。情もあるけれど、部下ならともかく私に対してはあまり効果がないだろう。
「うーんとね、堅豆腐なんだけど」
「それならスライスして醤油掛けて食べるだけでも充分美味いと思うぞ」
「普通の堅豆腐じゃないんだ。私の手作りだよ♡」
「はぁっ?! 何してんだ手前! オイ、キッチンは大丈夫なんだろうな?」
 中也は私が料理できないことを間近で見ているから、すごい勢いでキッチンの心配をしている。分かりきっていたことだけれど、私の心配はしてくれないんだろうか。
「大丈夫だよ〜。中也の家のキッチンじゃ作れないし。マフィア時代に気まぐれに専用キッチンを作ったから、わざわざそこで作ったんだよ」
「そんな場所があったのか。手前、豆腐屋にでもなれば良かったんじゃねェの?」
「確かに。あぁでも、『豆腐の角に頭をぶつけて死ねたら面白そう』って思って作ってみただけだし。すぐ飽きちゃいそう」
「と云うことは、堅いんだな?」
「切れなくて試食ができないくらいには。中也なら切れるかなぁと思って。取り敢えず切ってみてよ」
「やってみるけど、お前がそう云うくらいだ。切れずに粉砕しちまうかも」
「それは分かってるからいいよ。私も自分が作った豆腐がどれくらい堅いのか知りたいし」
「粉砕しちまったら、スープにでもするかぁ」
 そうして私達は、中也がもらったプレゼントの仕分けを始めた。

* * *

「はー、やっと終わった」
「これで思う存分楽しめるぜ……」
「なんかさぁ、思ったより普通のプレゼント多かったよね」
「俺はいつもこれくらいだと思うけどな」
「じゃあ何? 私の方が恨まれてたってわけ?」
 悪意があるプレゼントは、全体の2割ほどだった。
「そりゃそうなんじゃねぇの?」
「みんな非道い! 腹いせに、盗聴器の彼に嫌がらせしていいかな。マフィア内でももう黒なんでしょ?」
「まァ、アイツはプレゼント貰う前から調べついてたし……。処刑になることは実は決まってるンだ。本人は全く気付いてねェみたいだけどな」
 私はそれを聞くと早速別の部屋に避難させてあった盗聴器を持ってきた。
「ハァイ♡そこの君、聞こえてる? 私だよ私。太宰だよ。覚えてるかな、元上司のこと。いやぁ、君にはマフィア時代にとってもお世話になったよ。金の横領と武器の横流し。私ね、気付いてたんだよ。ただ面倒くさくて何も言わなかっただけ。実は、証拠は今だって持っているんだ。それを今の君の上司に、渡そうと思う。君は今から、きっと処刑の恐怖に震えるんだろうね。長年のツケを今、払ってもらおう。逃げても無駄だよ? じゃあね、良い夢を」
 伝えたいことを伝え、私は盗聴器を中也に渡して壊してもらった。
「うわ、えっぐ! 折角云わずにおいてやったのに。アイツ、もう安心して眠れねェじゃねェか」
「中也が甘いんだよ。明日にでもむしろ『処刑してください』って来ちゃうかもね?」
「というか、手前の部下だったのかよ」
「うん。あの時もキナ臭かったけど、相変わらずだったみたいだね」
「で、証拠は何処にあるんだよ。今の上司は俺なんだよ」
「私の執務室って残ってるんだよね? 書類棚の左から3列目の、下から2段目。そこに入ってる。当時一応調べてはいたんだよね」
「明日見てみるわ。こりゃ臓器提供してもらわないと足りねェかもな。金は取り戻さねェと」
「……と云うわけで、堅豆腐切ってみてよ!」
 中也がどんなプレゼントを貰ったかよりも、私は堅豆腐の方が気になるのだ。
「わぁったよ」
 中也の腕を引っ張って、私はキッチンへ向かった。

* * *

「これが噂の?」
「そう、これこそが改良に改良を重ねた『豆腐の角に頭をぶつけて死ねる』堅豆腐さ! 中也、持ってみてよ」
 私は堅豆腐を中也に渡した。
「なんだこれ、既に堅豆腐でもねェ。柔らかさが微塵もないってどういうことだよ。かといって、高野豆腐みたいな感じもしない。意味不明、理解不能」
 中也は早速豆腐をまな板に乗せ、包丁の刃先を添えた。
「……オイ、このままだとキッチンが凹んじまうんだが?」
 中也は台所が壊れないギリギリの加減をしているようだが、堅豆腐に包丁が入る気配すらなかった。
「うわぁ、それどころか刃が負けそうだ」
「マジで味見もできねェのか。粉砕するぞ?」
「いいよ。中也でも無理なのかぁ。じゃあ全人類無理だねきっと」
「手前んとこの社長はどうなんだ? 腕のいい剣士だったらしいじゃねェか」
「成程、社長ね。……ダメ元で頼んでみようかなぁ」
 その時、中也の掌に包まれていた堅豆腐が粉砕された。ボールに塊が落ちていく。
「うーん、ちゃんと豆腐っぽいんだよな。それにしてもこれは堅ぇ。大分力を掛けたぜ」
 中也はボールに残った塊を潰す。大きな塊もしだいに小さくなっていった。
「中也、はいこれ」
「2つも作ったのか?」
 粉砕するのは労力が掛かるので、せめて誕生日プレゼントらしくしようと思い、普通の堅豆腐も用意しておいたのだ。
「いや、これは極普通の堅豆腐さ。中也が云った通り、切って醤油を付けて食べると美味い」
「これも手前が?」
「そうだよ」
「だったら早速食おうぜ。腹減ったし。スープは明日作る」
 中也は決めたら早いのだ。渡した堅豆腐はすぐにスライスされていく。そして、一切れずつ皿に盛られていった。

「「乾杯」」
 中也が姐さんから貰ったというワインで乾杯だ。私も分けてもらった。いつもは日本酒だが、たまには良い。
「このチーズも美味ェな。今度買おう」
 これまたプレゼントに貰ったツマミのチーズを一口口に運ぶ。程よい塩気がワインにピッタリだ。食卓には、あれから中也が簡単に作ったツマミたちが並んでいた。
「ねぇ、堅豆腐食べてみてよ」
「おう。本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だよ! 私食べてるじゃない!」
「分かった。手前を信じて食べてやる」
 私の料理への信頼無さすぎじゃないかい? 中也は心を決めたようで、箸で摘んでスッと口に入れてくれた。そして、咀嚼して飲み込んだ。
「……うまい。何だこれ」
「ね? 美味しいでしょ」
「手前、マジで豆腐屋になった方が良かったんじゃねェの? というかなれよ」
「豆腐屋にはならないよ」
「また食わせろ。絶対に」
 本気で云っているのだろう。中也はとても真剣な顔をしていた。こんな、堅豆腐をもう一度食べたいと云う時にする顔ではない。その真剣すぎる姿に私は笑いがこみ上げてきた。
「フフっ、なんでそんな真顔なのさ」
「美味いモンはまた食べたいだろ!」
「そんなに美味しかったんだ」
「うん。だから、いいだろ?」
「ま、君の誕生日ならいいよ」
「えぇっ、もっと食わせろよ!」
「だったら私も蟹がもっと食べたいなぁ」
 中也だけ好物が食べられるようになるなんてズルいから、私だってお願いしてもいいと思うんだ。
「……あまり食べすぎても有り難みが減るから、月イチなら。どうだ?」
 蟹も年に1回か2回だったし。それならいいかな。
「分かった。月に一度、私は堅豆腐を。中也は蟹料理を作ることにしよう」
「よし、交渉成立だな」

* * *

「なぁ、俺のために用意してくれたのか? 堅豆腐に、カーネーションも」
 ほろ酔いでお互いにシャワーを浴び歯磨きもして、寝る準備が整った時だった。私は中也より少し先に布団に入っていた。中也ももそもそと布団に潜りこんできて、横向きになって私に体を向ける。
「そうだよ。どうだった?」
「太宰がこんなことしてくれるとは思ってなかった」
「そうかい」
「なんか、調子狂う」
「それはちょっと非道くない? いいじゃない、たまには私が中也に感謝しても」
「思ったより嬉しくて、おれ……っ」
 薄暗くてよく見えないが、中也は涙声になっていた。きっと流れているであろう涙を拭ってやりたいなと思って、私は中也の顔に手を伸ばす。やはり頬は濡れていた。目元に親指で優しく触れ、涙を拭ってやる。
「そっか、君は、私にプレゼントを貰って泣いちゃうのか」
 こんなことになるとは思わなかった。
「わる、かったな。みっともなく泣いて」
「みっともなくなんか、ないさ。こっぴどく拒否されることも想定していたけど、こう、素直に嬉し泣きされちゃうとね……。贈って良かったと思うよ」
 中也は、思ったより可愛い人なのかもしれない。心根もまっすぐで、色々ひん曲がってしまった私とは大違いだ。
「誕生日、おめでとう」
 片腕で抱き寄せると、いつものように中也は私の胸元にすり寄ってきた。
「ありがとう、太宰」

 中也は暫くすると落ち着いてきて、ぽつりと話し始めた。
「俺、最初は誕生日なんてなくてもいいと思ってた。途中からしか記憶がねェし、自分が何者なのかも分からねェから。マフィアに入って、誕生日を決めてもらった。仲間に祝われるのも、最初は変な感じだったぜ」
「今は楽しんでるみたいだけど?」
「マフィアは俺の居場所だからな。自分の歳を祝うというよりは、今年もマフィアに居ることができた記念日なんだと思うことにした。そしたら誕生日もなかなかいいなと思えるようになった。でも」
 中也は言葉を切ると、私の胸元から顔を離し、私の目を見て云った。
「太宰から祝われるのは、やっぱり特別なんだぜ」
「なんで?」
「手前は荒覇吐のことも知ってるからな。間近で俺のことを見てきた、数少ない人間のひとりだ。そりゃまァ、合わない部分も多々あるがな。立場は変わっちまったが、『相棒』から祝われたと思ったら、やっぱり部下とか同僚から祝われるのとは違うなァと思った。嬉しさの種類が違うんだ」
「どう違うのさ」
「……存在することそのものを、認めてもらえた感じ」
 ぼんやりと薄暗い中でも、中也は少し悲しそうで、悟ったような顔をしていた。私にはそう見えた。
「別に君は、ふてぶてしく幹部の席に座っていればいいんだよ。任務もちゃんとこなして、私のお弁当も作って、一緒に食事して買い物もすればいいさ」
「そうだな」
「中也は、ちゃんとここに居るよ」
「……っ、あぁ」
 また泣けてきてしまったようで、中也は再び私の胸元に顔をうずめた。
 中也が泣く姿を見るのは初めてだった。誰も見たことはないと思う。そんな姿を、私には見せてくれたのかい?
「おめでとう中也。おめでとう」
 何度でも云ってあげたくなった。中也がそういう風に、私の言葉を捉えてくれるのなら。
 腕の中でコクコクと中也が頷いているのが分かる。「これが『愛しい』という感情なんだろうな」なんて思いながら、私は中也をひときわ強く抱き寄せた。