私が中也の家に居候し始めてもう8ヵ月目。やっと体が暑さに慣れてきた気がする。……と云っても、猛暑が続いていてエアコンは必須。屋外での依頼は正直あまりしたくない。
先月は風邪をひいた。意識がぼんやりしていて、我ながら、普段なら絶対に云わないことを中也に云ってしまった。中也は案外、いや、当然のことながら可愛い人なのだ。クールに振舞っているように見えるけれど頑張り屋で、馬鹿馬鹿しいくらいに人思いで人間くさい。「早く死ねないかなぁ」なんて常に思っている私とは比べ物にならない。そんな人間人間している中也と私は、やっぱり相容れないと思う。私にはそれが「中原中也」だと分かっているから、人間らしすぎる中也に、ある種の嫌悪感を抱きつつもその存在は決して否定できずに今に至る。
私がマフィアに居た頃は、中也とどちらが先に幹部になれるかを競っていた。本当は昇進なんてどうでも良かったのだけれど、中也に負けるのだけは嫌だった。だから自ずと、中也とぶつかることが多かったのだ。相棒でもあり、幹部昇進を競う敵でもあった。双黒での任務以外で会った時はいつも以上に喧嘩をしていた。何度森さんに「君たちが仲良しなのは分かってるけど、喧嘩は程々にね」と云われたか分からない。
中也は今でも変わらず頑張り屋で、常に「死にたい」だなんて云っている私に対しても情をかけてくれる。そんな中也が、あの頃とは違ってやけに可愛く今の私の目には映っているのだ。早くその気持ちに気付いて認めていれば、森さんにあれだけ云われることもなかったかもしれない。
可愛く思えてくると、構ってやりたくなるものだ。急にスキンシップの頻度を高くしたら、きっと2度と触れさせてもらえなくなるだろう。そう思って、私は徐々に中也に触れる頻度を増やしていった。それが上手くいったのか、中也は朝起きると、私の額に唇を落としてくれるようになった。寝ているフリをしているが、顔がニヤけそうになるのを必死に我慢している。口付けも拒まれない。中也から強請られた時は、嬉しくてたまらなかった。中也は、可愛いひとだ。
今年も盆の時期がやってきた。私にとって、別にお盆は特別な時期ではない。織田作の墓参りは気まぐれに、したい時にしている。中也にとっては、どうやら特別なようだ。私がマフィアに居た頃から、中也はお盆になると墓参りに行っていた。最初は少しだけだったお供え用の花は、年々増えていった。中也は自分が覚えている限りの同僚や部下、一人ひとりの墓に花を供える。今年もいつも通り、花を買って墓場に行ったみたいだ。墓参りの人数が多いのだろう、朝から中也は居ない。私が朝起きてダイニングに行くと、私の食事だけはきちんと用意されていた。夕食はなかったので、夕方か夜には帰ってくるのだろう。
探偵社もマフィアも休みなので、中也と何か夏らしいことをしたいと思った。だから私は買い物に出掛けた。中也の家から歩いて行けるスーパーで、桃と西瓜と水まんじゅうと、それに花火に蚊取り線香、メントール入りの入浴剤とビードロの風鈴を購入した。西瓜のせいで帰りは重かったけれど、中也と楽しむためならたまにはいいかと思った。
帰宅してから中也が作ってくれた昼食を食べ、本を読みながらリビングのソファーの上でゴロゴロしていた。中也はなかなか帰ってこない。なんだか暇だなぁ。いつも、食後は雑談をしていた。その後は各々好きなことをして過ごしているものの、テレビで映画やドラマを観始めると気になってつい一緒に観てしまう。中也が音楽鑑賞する時だって密かに私は「こういう曲が好きなんだな」と思っているし、おやつを作ってくれる時や夕食の仕込みの時も、何ができるのか楽しみで中也の方ばかり見てしまう。ずっと、片時も離れたくないわけではないが、側に気配があるだけで安心できて、同じ空間に居れることが嬉しい。中也と時間を共有していると、なんだか幸せだ。死にたがりの私らしくないとは思うけれど、この生活ができて「生きていて良かった」だなんて、一瞬でも思ってしまった。昔はよく喧嘩をしたけれど、今の穏やかな私達もそれはそれで良いのではなかろうか。別に、喧嘩をしたくてしていた訳ではないし。物思いに耽っていると、段々眠くなってきた。リビングのソファーのクッションに頭を預ける。クラブマンのエンジン音が聞こえてこないか耳をすませながら、私は眠りに落ちて行った。
どれくらい眠ったか分からないが、玄関のドアを解錠する音で私は目覚めた。車のエンジン音に気付かないなんて、昼寝にしては随分熟睡してしまった。中也が帰ってきたことは明白だったので、私は冷たい麦茶と水まんじゅうを冷蔵庫から出した。スイカは大きくて、まだ冷えてないから食べ頃ではない。墓参りは、きっと暑かっただろう。
「ただいま」
「おかえり。お茶とおやつ、用意するね。ひとまず休憩しなよ」
小皿に買ってきた水まんじゅうを乗せ、グラスに氷を入れて麦茶を注ぐ。氷がグラスに当たってカラン、と音を立てた。
「はい、どうぞ」
ダイニングテーブルに水まんじゅうの小皿とグラスと麦茶が入ったピッチャーを置く。黒文字はなかったので、代わりに小ぶりなフォークを中也に渡した。
「サンキュ」
ダイニングテーブルの椅子に座って、まずはふたりでおやつの時間だ。時計を見たら16時くらいだったけれど、まぁいいだろう。
「で、無事に全部まわれたの?」
「一応な。太宰は織田の墓参りに行ったのか?」
「お盆中には行かないつもり。織田作の墓参りは、したいときにしてるから」
「そうかよ。俺は次から計画を立てないと、全部まわれねぇかも」
中也は麦茶を一気に飲み干し、フォークで水まんじゅうを一口大に切って口に運んだ。「うまいな」と云う中也。普通のスーパーの品だけれど、買ってきた甲斐があったな。私は空になった中也のグラスに麦茶を注いだ。
「ずっと死人を出さないってのは正直なところ無理だからねぇ。抗争がなくても、死ぬ人は死んじゃうから。マフィアの仕事は知っての通り危険がつきものだ。マフィアに居る限り、死者は増え続ける」
「それはよく分かってる。……けどなぁ」
そう、これが中原中也という人間なのだ。私に云わせてみれば「甘い」の一言に尽きる。中也は身内意識がとても高い。過去には身内に手酷く裏切られたというのに、マフィアに加入してもそれは変わらなかった。基本的に、抱えた部下や同僚、所謂「仲間」はすべて守りたがる。中也は5大幹部だから、ある意味マフィア全体が中也の守る範囲だ。
「そこまで思ってるならいっそ、マフィアの墓地全部お参りしたら? 君の無念も多少は薄らぐんじゃないかな」
守りきれないことを分かっていても、中也はいつだって仲間を、マフィアという家族を守りたいと思っている。中也の考えることは分かっても、守りきれないことを理解しているのに、それでもなお守ろうとするその思いを私は理解できない。そういう時の中也は、自分の犠牲を厭わない。その愚直さが、何より過去の私を苛つかせていた。しかし、中也と居て私は納得せざるを得なかった。これが「中原中也」なんだと。
「……確かに、その方がいいかも」
マフィア全部となると、最早1日では足りないと思う。中也は全体数を知った上でこう返している。まったく、無茶な人だ。
「来年から大変だね。手伝おうか?」
「え?」
「え?」
あれ、私、こんなこと思ったんだ。中也と私がこういう反応をしたのも無理はない。この私が、中也に何の見返りもなく「手伝おうか」なんて云ったのだ。無意識だった。
「手前、云ったな?」
「うん。どうやら私は、中也のことを手伝いたかったみたい。仕方ないなァ」
「じゃあ、来年よろしく」
「分かったよ、相棒。ちゃんと死者数の把握はしておいてね?」
あぁ、いつから私は、中也に対してこんなに甘くなったのだろう。
* * *
あれから今夜花火をやろうと中也を誘った。夕食後、庭の石畳の上で花火をすることになった。中也がデザートの西瓜を切っている間に、私は花火の準備をする。バケツに水を汲み、蚊取り線香に火をつける。風鈴を適当な庭の木の枝にぶら下げた。今日は風が少し吹いているから、チリンと音がする。蚊取り線香の匂いもして、中也の家が洋風ではなく和風だったら、懐かしい日本の風景になっただろう。折角だし西瓜を外で食べようということになったので、キャンプ用の小さな折りたたみ椅子と皿を置くミニテーブルも置いた。
「そっちは準備、できたか?」
切った西瓜を皿に乗せて、中也がやってきた。
「この通り。できたよ」
「まずは西瓜を食べるか」
中也は椅子に座り、早速西瓜にかぶりついた。
「そういえば姐さん、居た?」
西瓜一玉をふたりで食べるのは無理だと思い、隣の姐さんの家にお裾分けすることにしたのだ。ちなみに、姐さんの家には今、敦くんと鏡花ちゃんが居候している。3人も居れば食べ切れるだろう。
「おう。ちゃんと渡してきたぜ。喜んでた。たまには先輩らしいこと、するんだな」
「『たまには』とは失礼だなぁ」
「どうせ報告書書かせてるんだろ。あと、入水して財布なくして奢らせたり」
正解。流石中也、分かってるじゃないか。分かっているなら、これ以上この話題を話す必要はない。話を変えよう。
「美味しいね、西瓜」
「まったく。だんまりかよ。甘くて美味いな。久しぶりに西瓜食ったぜ」
「私も久しぶりだったなぁ。一人だと食べるの大変だしね。小玉も売ってるけど、食べるなら普通サイズの西瓜が良いって思ってね」
「年一回でいいから食いたいよな。来年も食べようぜ。そうだ、墓参りついでにうちに来ればいい」
「いいよ」
返事をしてまた西瓜をかじると、甘みが口内に広がった。
西瓜を食べきったら次は花火だ。椅子とテーブルを片付けて、パッケージから手持ち花火を出した。しゃがんで付属の蝋燭に火を灯し、花火の先に火をつける。パチパチと火花が散る。小ぢんまりながらも綺麗だ。
「そういえば俺、花火するの初めてかも」
「あれ、やったことなかったっけ」
「打ち上げ花火なら見たことあるけどな」
「あぁ、あの任務の時ね。花火を見る場合ではなかっただろ?」
ある夏の夜、私達は敵を追っていた。たまたまその日が花火大会だったらしい。なかなかすばしっこくて苦戦したのだけれど、結局花火の音に乗じてドンパチやる羽目になってしまった。敵を捕縛した後、少しだけ花火を見たっけ。
「今度はじっくり見たいなァ」
「来年見に行こうよ。また手持ち花火でもいいし」
「これ、思ったより綺麗だな。小さくてかわいい。両方しようぜ」
「欲張りだなぁ。あ、もっとかわいいのがあるよ」
粗方手持ち花火がなくなって、最後に残ったのは線香花火だった。
「なんか細ぇな」
「まぁ見てなって」
1本だけ取り出して、線香花火の先に火をつける。小さな火玉の周りを、火花がパチパチと散っていた。
「迫力はないけど、綺麗だな」
線香花火をやると、火玉を落とさないようについ無言になってしまう。暫くして、火玉はポトリと落ちてしまった。
「あっ……!」
「線香花火って、儚いんだよね」
「地味だけど、きっとそこがいいんだろうなコイツは」
「勝負でもする? 長く保たせた方が勝ちね」
「受けて立つ!」
火をつけると、花火を揺らさないようお互い無言になってしまった。
「……案外難しいな、これ」
「異能は使わないでよ?」
「たりめぇだ」
再び無言になる。少し風が吹いて、風鈴がチリンと鳴った。線香花火の儚い火花を見つめながら、今日という一日を思い出す。水まんじゅうを食べて、西瓜も食べて、中也と花火をした。来年からは墓参りの手伝いをする。また西瓜を食べて、今度は花火大会に行って、手持ち花火もする。来年の約束をしてしまった。自殺志望の私が、確実ではない約束をしてしまったなァ。こんなことを考えていたからだろうか、私の火玉は中也より早く落ちてしまった。
「あ」
「俺の勝ち」
中也は火玉を落とさず、最後まで花火を保たせた。
「自然に消えるって、あまりないんだよ。良かったね」
「なぁ、勝ったんだから何かねぇの?」
「うーん。ハグしてあげよう」
中也が悲しそうだったから。火の玉のことが、人の命みたいに見えたんだろう。ほんの少しのことで、明日あると思っていた命は消えていくのだ。だから中也は、落とさないように真剣になっているように見えた。
私が立ち上がって腕を広げたら、大人しく中也は腕の中に収まってくれた。安心させるように、優しく抱きしめる。
「悲しくなっちゃった?」
「……少しな。約束、ちゃんと守れよ」
「わかったよ。守るよ」
中也がそう願うのなら仕方ない。強いようで弱いところもあるんだよ、中也は。そんな君は可愛いし、見守ってあげたくなるし、私で良いのなら守ってあげたい。
「中也」
できる限りの愛情を込めながら、名前を呼ばれて見上げる君に口付けた。