如月

2022.3.25

 私が中也の家に居候し始めて1ヶ月以上経った。私は今、「胃袋を掴まれる」と云うのをひしひし感じている。中也の手料理を食べたいと思っていたには違いないのだが、真逆これほどまでに魅了されるとは思っていなかった。中也が作ってくれた料理なら何でも美味しい。味付けが塩胡椒だけのシンプルな野菜炒めでも何故かご飯がすすむ。野菜のシャキシャキ感が程よく残っていて美味しい。塩胡椒も主張しすぎることなく、野菜を引き立てている。何かコツがあるのだろうか。最近ではただのカニカマを酒のつまみとして出してくれただけでも、それが特別なモノのように見えるくらいだ。
 平日の昼食はてっきり「自分で何とかしろ」と云われると思っていたのに、中也は契約を「三食用意する」と勘違いしているのかお弁当を作ってくれる。そこまで細部まで決めていないので、私は中也から「コンビニで買ってこい」と云われたらそれまでだ。中也のご飯がお昼も食べられたら嬉しいので、中也が気付くまで何も云わないでおこう。
 探偵社にお弁当を持って行ったらみんなに驚かれた。今まで外食ばかりだったから。敦君があまりに物欲しそうな目で見てくるので、ある日、おかずをひとつあげた。すると、翌日から日替わりでみんながおかずをせびってくるのだ。みんなにとっても中也の料理は美味しいらしい。ひとつと云えど、みんなに食べられてしまうので量を増やしてもらってもいいかもしれない。

 今日は2月3日だ。私は帰宅して、中也の帰りを待っている。中也が非番の時以外は私が中也より早く帰宅する。節分ということで、豆まきをしようと思った。そういう行事を進んでやるタイプではないが、誰か一緒に住んでいるならやってもいいかと思う。中也と一緒なら面白そうだし。
 中也と一緒なら多少羽目をはずしてもいいかと思い、豆まきセットを用意してみた――と云っても、豆まきと云える程優しくはない。何故なら、これは豆撃ちだから。今日のためにわざわざエアガンを改造しておいたのだ。弾丸の代わりに豆を撃つ。鬼もこんなモノが飛んできたらすぐに退散するだろう。普通の豆まきをしたって面白くない。
 暫くすると外で車のエンジン音がしたから、きっと中也が帰ってきたのだろう。私はいよいよかと思って玄関にスタンバイした。鬼役は中也だ。ガチャリと扉が開き、中也の姿が見えた所でトリガーを引いた。眉間を目掛けて豆が飛んでいく。飛んでいく豆の速さに私自身が驚いた。豆が砕けない程度に極限まで速く改造してみたが、これなら人も殺せるのでは? でも、流石は中也だ。両手が荷物で塞がっているのに、着弾した瞬間に異能を発動させたらしい。豆は眉間からぽとりと落ちた。撃ち返さなかったのもここが自宅だからだろう。まったく、器用なものだ。
「太宰手前、いきなり何しやがる……って、豆?」
「鬼は外だよ、中也」
「ほぉ、俺は鬼役だな?」
 すぐに察してくれるのは嬉しいけど、鬼より怖い顔してるよ中也。でも、久しぶりに豆まき兼鬼ごっこも楽しいと思うんだ。
「残り21発、私は君に豆を当てる」
 豆はBB弾に比べて随分大きい。22粒以上入れられるように銃を改造するのも大変だった。持ち運びのことも考えると、あんまり大きな銃にはしたくなかった。
「今のは不意打ちとして、残りを俺に当てることなんて出来るのか? 今ので大体速さは分かったぜ」
「当たってくれないと困るなぁ。福が入ってこれないじゃない。でも、家の中なら逃げ回ってもいいよ?」
「仕方ねェな。じゃあ、20秒数えたら追いかけてこい。簡単には当たってやらねェぞ」

 それから私たちは、家の中で盛大に豆まきをした。家中に仕掛けた渾身のトラップが中也に襲いかかり、避けるタイミングを見計らって更に別のトラップを発動させる。中也にバナナの皮を踏ませて漫画みたいに滑らせてみたけど、なかなか滑稽だった。他にも包帯ぐるぐる巻きにしてみたり上から豆を降らせてみたり、柄にもなく楽しんでしまった。中也に「ぎゃふん」と云いそうなあの顔をさせるのが私は大好きだ。中也に対して嫌がらせをするのは、やはりやめられない。
 予定通り22発の豆を中也に当てたところで、私たちの豆まきは終わった。よし、来年もやろう。
「おい、後片付けしとけよ?」
 云われることは承知の上だったが、やっぱり後片付けもしなくては駄目か。
「……はーい」
「綺麗に元通りにしとけよ。じゃないと、お前の恵方巻をレタスだけにするからな。海苔も無しで代わりにレタスな。酢飯はやるけど具はマヨだけだ」
「え」
 私は絶句した。なんだい、その具なしカリフォルニアロールみたいなの。それより私が絶望したのは、「それでも中也が作ったものは美味しいんだろう」と思ってしまったことだ。今の私は既に、中也の手料理に逆らえないということが証明されてしまった。なんだか悔しい。というか中也、スーパーのを買わずに手作りするつもりだったんだ?
「俺は恵方巻作るから。じゃ、頼んだぞ」
「うん、分かったよ」
 私はレタス巻きにならないように、綺麗に後片付けをした。

 後片付けが終わると、私はダイニングに向かった。テーブルには既に恵方巻を乗せた皿が用意してあった。
「ご苦労さん」
 お吸い物と箸を盆に乗せて、中也がキッチンからやってきた。出汁のいい匂いがするお吸い物が配膳され、箸置きに箸がセットされた。
「わざわざ作るなんて思ってなかったよ」
「手前こそ、真逆豆撃ってくるなんてな」
「中也、楽しそうだったじゃない」
「だって、いつもは命が掛かってるだろ」
 こういう所、私は嫌いだ。中也は自分の命のことを云っているのではない。仲間の命のことを云っているのだ。なんでこうも、自分を掛けられるのかな。中也はそれで幸せそうだから、私は何も云えない。ただ、こういう中也を見る度に、守れなかった友達(織田作)を思い出してしまって私は私が嫌になるのだ。私が守りたかった人はもう居ない。
「ま、中也が本気になって遊びで動ける相手もなかなか居ないだろうね」
 だから、このわんちゃんで遊べるのは私だけなんだ。
「久しぶりに遊べて、案外楽しかったぜ」
 こんなに楽しそうな中也を見れるのも、きっと私だけ。そうであって欲しいと思う。
「お腹空いたし、これ、食べたいな」
「そうだな。これだけ食べられそうか? 大きいなら切るぜ」
 中也はいつも、少食な私に対しても中也と同じ量を用意してくれる。少なめで用意してくれても構わないと云ったのに、夕食だけは量が変わらなかった。多分、対等にしたいんだろう。私が減らした分は、翌日の弁当に入っていたり朝食に出されたりする。食材を無駄にしている訳ではないから、そこは安心してほしい。
「うーん、7割くらいにする」
「残りは、生モノだし朝メシだな」
 そう云って中也は恵方巻に包丁を入れた。
「ねぇ、恵方向いて食べる?」
「お? なんかすげぇ乗り気だな。ここまでしたんだし、今年はやるかァ」
 方位磁石のアプリで今年の恵方「北北西」の向きを調べ、椅子の向きを変えた。そして、ふたり無言で恵方巻に齧りついた。願い事、どうしような……まぁでも、今年はやっぱり「中也と楽しくのんびり暮らす」かな。
 中也が作った恵方巻はやっぱり美味しくて、無言で食べるなんて余裕だった。お吸い物も飲んだ私は、すっかりお腹が満たされていた。