私が中也の家に居候し始めて6ヶ月目。中也は今、西に出張中だ。私が当初から予測していた通りに、中也は出張になった。本来10日程掛かる予定だったが、私の入れ知恵で7日間以内に終わらせる予定を立てた。最もロスなく動ければ5日といったところか。
居候させてもらう条件だから予測をしたわけだが、それ以上に中也には早く帰ってきてもらわねばならない。何せ、私には生活能力というものがないのだ。掃除洗濯はともかく、私は料理が壊滅的にできない。別に料理なぞ作れなくとも出来合いのモノを買えば良いのだが、生憎それは無理だった。何度でも云うが、中也の手料理が美味しいからだ。あの味に慣れてしまった今、以前食べていたカップ麺やコンビニ弁当を、私はできる限り食べたくないのだ。
中也は私のために、作り置きのおかずを用意してくれた。ご飯は冷凍して、その都度解凍して食べている。きんぴらごぼうや里芋の煮物、豆腐に乗せて食べると美味い、特性のタレ。色々作ってくれた。タッパーから食べる分を皿に盛り付けて、電子レンジでチンして食べる。
今日は中也が出張してから4日目だった。タッパーのおかずが少しずつ減ってきて寂しい。弁当まで作り置きするのは難しかったので、私は昼、仕方なく外食をしている。探偵社のみんなにも、暫く中也のおかずは持ってこれないからと伝えてあった。みんなも一瞬寂しげに見えたんだ。乱歩さんが「明日には帰ってくるよ」と云っていたので、中也はきっと最短コースで任務を終わらせるんだろう。
夜、一人で夕食を食べる時、かつては「いただきます」だなんて云っていなかったから、居候し始めて習慣になった「いただきます」は一人だと妙に虚しく感じる。でも、作ってくれたのは中也だから、これは欠かさず云うようにしている。食べ始めると美味しくていつも無言になってしまうが、無言なのは同じなのに、中也の気配がないだけでなんだか寂しい。ご飯を完食した時の、中也の嬉しそうな顔を思い出すんだ。
食器も毎日、ちゃんと洗っているよ。中也に云われた通り、洗った皿が置いてあるカゴの下の水滴はちゃんとふき取るし、シンクだって洗っている。
中也が出張して2日目の時に「ちゃんと食ってるか心配だから、写真送れよ」と端末にメッセージが送られてきたから、食事の写真を送っている。中也は忙しいのか、毎回OKと書かれたスタンプを送ってくる。たった5日間なのに心配性だなぁ、中也は。
「あぁ、やっぱり寂しいよ」
私はベッドにごろりと寝転がった。今まで一人暮らししていたのにな。中也が、ひどく恋しい。隣に体温がないし、甘えてくる本人は勿論いないし、私も落ち着かない。中也が出張に行ってから寝付きが悪い。前はそれで寝不足なんて当たり前だったのに。
「明日の朝ごはんは林檎だな」
中也からやっと林檎の皮むきを一人でやってもいいと許可が出たので、私はここぞとばかりに練習していた。台所を破壊する心配はないと判断されたみたいだ。丸くするのが難しくて、廃棄率はまだ5割ほど。今日、調子に乗って8個も練習してしまったから、冷蔵庫の中は林檎がたくさん入っている。変色を防ごうと思って塩水につけたけれど、いつまでもつのかよく分からない。
「……早く帰って来ないかなぁ」
夏用の薄い布団を引き寄せると、自分の匂いに混じって少しだけ中也の匂いがした。自分の定位置で寝転がっていたが、中也がいつも寝ている方にもぞもぞと移動する。夏用の布団は出したばかりだったが、柔軟剤の優しい香りに混じって中也の匂いがついていた。物足りないけれど今はこれしかない。顔まですっぽり布団を被って、私は目を閉じた。
* * *
次に目が覚めると、時計はまだ4時だった。今日は休日なので、どうせならもっと寝ていたい。やはり、中也が居ないだけで眠れないらしい。睡眠不足なのに今から眠れる気がしない。かと云って気怠くて起き上がる気力もない。私は布団にくるまったまま、ただじっとしていた。
どれだけ時間が経ったか分からなくなった頃、玄関の鍵を解錠する音が聞こえてきた。中也なんだろうが、早すぎる気がする。それでも帰ってきたのが嬉しくて、私はゆっくり布団から這い出た。2階の寝室から玄関に向かう。中也は革靴の紐を解いて靴を脱ごうとしていた。
「中也、おかえり」
「ただいま」
「私の予想では、家に着くのは夜だと思っていたのだけれど」
「……手前が心配で、報告もせずに来ちまった。少ししたらまた出る」
「そう、だったの」
中也は玄関に上がると、手を洗ってキッチンに向かった。そして、冷蔵庫を開けた。
「食べるモン残ってるか? 晩メシ食べそこねて……、こんなの作ったっけ」
どうやら中也は私がたくさん切った林檎が盛られた器を見つけたらしい。
「それ、良かったら食べてよ。私が切った林檎」
「何個分だ?」
「8個」
「8? ……にしては少ないけど、前よりは丸くむけるようになったみたいだな。まだ時間早いけど、太宰も食べるか?」
「食べる! 君が居なかった時、一人で食べてもしっくりこなくてさ」
「俺も。時間あればビデオ通話できたんだけどな」
「最短スケジュールじゃ無理だよ。ハードだったでしょ?」
「暫く分刻みの任務はやりたくねェな」
「よくできました!」
私は林檎が盛られた器を持った中也を抱擁しようとした。
「あ、やめろ。汚れるから。返り血、ついちまったんだよ」
中也の衣服は黒いので、血が付いても分かりにくいのだ。
「良いよ別に」
「洗うのは俺なんだぞ」
「中也は私のこと、恋しくなかったの? だから食事の写真送ってくれだなんて伝えてきたんでしょう? わざわざ報告を後回しにして家に寄ってくれたんだよね?」
「……ハグするなら、綺麗な方がいいだろ。太宰を汚したくないんだ。報告して帰ったら、ふたりでゆっくりしようぜ」
中也は私を汚したくないんだ。そうか。私自身、織田作に云われた通り、光に居ようが闇に居ようが関係ないのだ。織田作の言葉を信じて光の世界に身を置くことにした。だからと云って今までしてきたことが帳消しになるはずもなく、生憎ではあるが、私は悪知恵の方が働くのだ。人の欲の汚い所を飽きるほど見てきて、私はそれを利用する。私が汚いことに変わりはない。とうの前から汚れていて、善人だなんて思えない。それなのに、中也は形式だけでも私を汚さないようにしてくれるんだね。
「中也がそこまで云うなら仕方ないなぁ。早く帰ってきてね。じゃあ、林檎食べようか」
私達は林檎の器を持ってダイニングテーブルについた。
「「いただきます」」
ふたりで云うのは5日ぶり。やけに長く感じたが、中也との生活が戻ってきた。私が切って小さくなってしまった林檎を、ひたすら食べる。塩水につけたおかげで、変色も最低限で済んだようだ。シャクシャクとした歯ごたえがあって美味しい。最後の1個は中也に譲った。お腹が空いていたのだろう、ただの林檎だというのに中也はとても美味しそうに食べていた。その姿に、つい微笑みがこぼれる。
「ありがと、美味かった。ごちそうさま。シャワー浴びて、報告行ってくる」
「分かったよ。待ってるからね」
* * *
「ただいま……って、ずっとそこで待ってたのか?」
私は玄関に座って、ずっと中也を待っていた。ちょっとおしりが痛くなってきた頃だった。
「おかえり。待ってるって云ったじゃない」
「そこまでしなくても……。どっちが犬か分かりゃしねェな」
「あ、それって『私の犬』だって認めてくれたってこと?」
「それは違ェ!」
靴を脱いで玄関に上がった中也を、私は今度こそ抱きしめた。
「うふふ、本物の中也だ」
中也の腕もそっと私の背中に回ってきた。
「メシはちゃんと食ってたよな。なんか細くなってねェ?」
「君ねぇ、疑ってるの?」
「画像加工くらい、手前にもできるだろ」
「ちゃんと食べてましたっ! 後からよーく冷蔵庫を見るといいよ」
「そうする」
「君が作ったんだもの。食べるに決まってるじゃない」
「なぁ」
「なんだい?」
「俺が作った料理が美味しいから食べてるんじゃなくて、俺が作ったから食べてくれるのか?」
おや、なかなか鋭い質問をしてくるじゃないか。私は逡巡してから口を開いた。
「……最初は美味しいから食べてたんだけど、中也が出張中、コンビニ弁当とかレストランとかで食べてね、気付いたんだ。前はコンビニ弁当とかレストランで満足していたのに、今はとても満足できやしない。中也の料理が美味しいから。でもね、中也の料理が美味しいのは、中也が私のために作ってくれているからだと思ったんだ。中也が私のために作ってくれたのならなんだって美味しい」
ツマミ用のただのカニカマでも美味しいと思えるのは、中也が私のために出してくれるからだったんだ。
「手前が悪い」
「もー、何云い出すのかな突然」
「俺が作った料理を、美味そうに完食する太宰が悪いんだ。嬉しそうに平らげやがって。もっと適当にやってやろうって思ってたのに」
「あはは、じゃあ、そのままの君で居てよ」
「太宰が、そう云うなら」
中也が私の顔を見上げてぶっきらぼうに云った。あぁ、愛しい人。中也の前髪をかき分けて、私はそっと唇を落とした。
「中也、昼寝でもしようよ。疲れたでしょ?」
「太宰も寝るのか?」
「中也が居ないと眠れなくてさ。おかげで寝不足なんだから。抱きまくらの役割を果たしてよ」
今の時期、流石に湯たんぽは暑い。だから役割変更だ。今更別々に寝るという選択肢は、私の中に残されていなかった。
「今日は俺にも抱かせろよ」
「えー、なんか暑そう」
「俺だって、よく眠れなくて疲れてるんだよ。一緒だろ? 手前が抱き着いてくるなら」
なんだ、中也も眠れなかったのか。
「分かったよ。じゃあ、今日はお互いが抱きまくらだ」
「なんか、言葉にすると変な感じだな」
「でも、そういうことじゃない?」
私たちは手を繋いで、寝室に向かっていった。
久しぶりに抱き合って眠ったらお互い寝すぎてしまい、晩ごはんがすっかり夜食になってしまった。