水無月 十九日

2022.6.19

 今日は太宰の誕生日だ。今までなら、特に何をするわけでもなく過ごしただろう。しかし、今は太宰と一時的ではあるが一緒に住んでいる。何より、俺の誕生日に太宰はプレゼントを贈ってくれた。だから、俺も太宰に贈りたいと思った。
 蟹料理を出せばそれだけでも喜んでくれそうではあるが、月に一度蟹料理は出すので「プレゼント感」に欠ける。蟹料理は作るとして、他に何か贈ろう。今日を迎えるまでに色々考えた。指輪は重すぎるし、太宰がネックレスをしている姿を見たことがない。アクセサリーは違うと思った。部屋着にできそうなTシャツや普段着れそうなカッターシャツも考えてみたが、俺と太宰はとことん趣味が合わない。特に服は、避けたほうがお互いのためだろう。
 では、何なら良いのだろう。考えながら過ごす日々が続いたが、ある日スーパーで買い物をしていると、箸が目に留まった。たまたま俺の箸が2膳あったので、太宰の分は購入していなかったのだ。箸か。毎日使うモノだしいいかもしれない。手の大きさに合った長さの箸を、俺は贈ることにした。太宰が寝ている隙に巻尺で手の大きさを測らせてもらった。俺より大きくて、少し骨ばっている。この手に触れられると、俺は安心してしまうんだ。俺も手の大きさに合わせて箸を購入しており、使い心地がいいので同じ店で買おう。
 また別の日、エリス嬢の買い物に同行していた時だった。デパートの中の一画に、期間限定で江戸切子を扱うショップがあった。エリス嬢が見たいとおっしゃるので店に入ると、そこには美しいグラスが。菊籠目の柄で、酒を呑むのに良さそうだった。俺は何も考えず、赤と青のペアのグラスを購入していた。太宰は日本酒が好きなことを思い出し、徳利とお猪口のセットも後になって購入した。ちゃっかりお猪口は2個ある。
 また別の日、今度は任務の合間に入った雑貨店だった。シンプルな取っ手付きのマグカップ。底の方が細く、口元にかけて広くなっているごくごく普通のカップだった。籠の編み目のような柄が入っているが、細やかで遠くから見るとシンプルな白に見えた。俺はこれも2個購入した。

 今は朝で、太宰はまだ起きてこない。今日は日曜日だった。太宰が起きる前に花瓶をダイニングテーブルに置こう。昨日花屋に行き、花を購入していたのだ。太宰は俺の誕生日にカーネーションを一輪挿ししてくれたので、花も用意したいと思っていた。購入した花は白いバラとユリ、そして青いカーネーション。青と白で爽やかなイメージだ。昨日花瓶に生けて、太宰が行かない物置部屋に一時的に置いていたのだ。
 何も考えずに贈りたいモノを購入していたが、少し、いや、かなり多すぎやしないだろうか。今の今になって、俺は気付いてしまった。グラスやお猪口、マグカップは自分も使えるのでついペアで買ってしまったが、考えてみれば別に1つずつでも良かったのではないか。わざわざ俺も同じモノを使う必要は、まったくないのだ。そう思うと途端に小っ恥ずかしくなってきて、俺は折角ラッピングしてもらった包装紙を破って中身を出した。本当に喜んでもらえるんだろうか。しかし、これらのモノに罪はない。捨てるには勿体ないし、個人的には「いい買い物をした」と思っているし、気に入っている。だから俺は、たまたま新品のモノを買ってきたことにしようと思った。誕生日プレゼントは、花も料理もある。なんとかなるだろう。

* * *

「おはよう」
「太宰、おはよう」
 俺は包装紙を捨て中身を出した後、箱を適当な棚にしまい込んだ。早速使うために箸やマグカップを洗い、いつも通り朝食を用意した。今日は和食だ。
「花、綺麗だね」
「たまにはいいだろ」
 おや、これはもしかして、太宰は今日が自分の誕生日だと気付いていないのか? それとも、彼奴のことだから、祝われること自体が嫌で気付かないフリをしているのか。それなら、俺からプレゼントを貰ったって嬉しくないよな。俺は太宰に今日が誕生日ということを伝えようか迷ってしまった。
「あれ、箸も買ったの?」
「俺のだとちょっと短かっただろ。冷めちまうし食べようぜ」
 俺はひとまずそう云ってその場を凌いだ。できることなら「おめでとう」と云ってやりたかったが、太宰がそれを迷惑に思ったり、不快になったりするなら云わない方がいい。
「「いただきます」」
 焼鮭と味噌汁、漬物にご飯。典型的な和食の朝ごはんだ。太宰は黙々と食べ、きれいに完食すると、手を合わせて「ごちそうさま」と云った。この瞬間が、俺はいつも嬉しいんだ。

* * *

 その後、各々好きに過ごして15時になった。俺が勝手に心の中で祝うのは構わないだろうと思い、ささやかではあるが苺タルトを買ってきた。太宰には、これはおやつだと云うことにしておこう。
「紅茶かコーヒーかどっちだ?」
 俺も太宰も両方飲むので、太宰にはその都度どちらにするか聞いている。
「うーん、今日はコーヒーの気分」
 コーヒーか。買ったマグカップの出番だな。電気ポットの湯を沸騰させ、インスタントのコーヒーを淹れる。太宰は見た目に反してブラックコーヒーが苦手なので、牛乳を入れてカフェオレにした。そのことを知ったのも、この生活を始めてからだった。
「マグカップ、新しいね」
「あぁ。いいだろ? このシンプルさが」
「中也にしてはいいよね。綺麗なカップだ」
 花も箸もマグカップも、グラスやお猪口だって、太宰のために選んだのだ。そう云ってもらえると嬉しい。
「やっぱりこの店はタルトが美味いな」
「他のも美味しいけど、タルトが一番さ」
 元はと云えば、太宰が「何か甘いものを食べたい」と云ったのが始まりだった。「何かってなんだよ」と思いつつ、近所で店を探して何件か買ってみて、それぞれの店の良さを見つけてきたのだ。

* * *

 そして夜、夕食の時間になった。一応俺の中では祝っているので、蟹をふんだんに入れたちらし寿司にしてみた。お吸い物は松茸。インスタントではなく、本物の松茸を使った。野菜がないのでじゃがいもや人参、大根、こんにゃくの煮物も作った。人参は花の形に切ったから、煮物でも多少特別感が出たと思う。
 買った江戸切子の徳利で、早速日本酒を出した。トクトクとお猪口に酒をついだ。おめでとう、太宰。今年もしぶとく生きやがれ。
「この徳利も初めて見る……」
「エリス嬢の買い物に行った時に見つけたンだよ」
「ねぇ中也。私に伝えたいことあるんじゃないの?」
 「伝えたいこと」か。あるに決まっている。今日1日中、ずっと伝えたくて仕方がない。
「『あるんじゃないの』って手前、今日が何の日か分かってたのか?」
「分かっているとも。私の、忌々しい誕生日だ」
「太宰は祝われたくないんだろ?」
「そうなんだけどさ、君があまりにも誕生日プレゼントを用意していたものだから……。そもそも、私は探偵社のみんなからも少し早く祝われていたし、別に今更、君に祝われても不快には思わないよ。そこまで心狭くないつもりだったのだけれど」
「俺が祝っても、いいのか?」
 この生活をしてきて、太宰と一緒に過ごすことには随分と慣れた。一緒の組織に居た時もあった。しかし、どんなに親しい仲であっても「踏み込んではいけない領域」は存在するのだ。自分以外の人間は、あくまで他人。太宰は俺のことをよく知っているが、俺は太宰のことをよく知らない。マフィアに加入した理由に、僅かばかり俺が関係したんだろうとは思う。太宰はそれ以前から首領と何らかの縁があったことは分かる。でも、その経緯を俺は知らないし、何処でどう育ってきたのかも知らない。何故あんなに死にたがるのかも知らないのだ。一緒に居た割に、知らないことが多すぎる。それで今の生活に支障があるのかと云えば全くないが、それが多分、踏み込んではいけない所なんだと思う。それを何となく感じていてそれでもなお、本人が「嫌」と心の底では思っていることをする勇気が、俺にはなかった。
「ここまで用意しておいて、何云ってるのさ。中也が祝ってくれるのは大丈夫。私は君からの言葉を、ずっと待ってたんだからね」
 太宰がそこまで云うのなら、俺はそれを信じるしかない。俺は心を決めた。
「じゃあ、云わせてもらう。誕生日おめでとう、太宰」
 やっとこの言葉を伝えることができて、とてもスッキリした。プレゼントを贈るだけでは、やはり物足りないよな。
「ありがとう。プレゼントも嬉しい。今日出てきた新品のモノ全部、私へのプレゼントなんだろう? お花もタルトも料理も、全部ありがとう」
 笑顔の太宰が椅子から立ち上がってテーブルの外に出て、腕を広げた。どうやらハグしたいらしい。俺も立ち上がって太宰のもとへ行き、腕の中に収まった。
「今日1日中也とお揃いのモノを使って、なんか嬉しかった。一緒に生きて、一緒に生活してるって感じ」
「そりゃ良かった」
「もう流石にないよね?」
「……いや、あるぞ」
 出すタイミングはもうないかと思ったが、太宰へのプレゼントはあと1つあった。
「まだあるわけ?」
「切子のグラス。ウイスキーとか洋酒呑む時用にな。好きなのは日本酒だけじゃねェだろ?」
「それもペアなの?」
「……おう」
「なら、このグラス使う時は同じお酒を呑もうよ。たまには一緒に酔い痴れよう? まァどうせ、中也が先に潰れるんだろうけど」
「自分で云うのもアレだが、介抱大変じゃねェか?」
 同じ種類の酒だと特に、どこからか「太宰に勝ちたい欲」が出てくるので、俺はきっといつもよりたくさん呑んでしまうだろう。だからいつもは敢えて違う酒を呑むことが多かった。頑張ったって太宰より酒が呑めないことを既に知っているというのに、俺の衝動は止められないのだ。
「そのグラスに免じて、その時だけは許してあげるよ」
「じゃあ、よろしく頼む」
 太宰の方を見上げて云うと、太宰はにこりと微笑んだ。そのまま顔が近付いてくるから、きっとキスをするんだろう。俺は首に腕を回して背伸びをする。すかさず太宰の片腕が腰を支えてくれた。目を瞑ると、「ちゅうや」と太宰が囁く。その吐息で何となく位置が分かった。そして触れる互いの唇。太宰の愛が伝わってくる気がして、俺の心は満たされていく。
「ご飯、食べようか。グラスも今度使おうね」
 俺は、離れていった熱を少しだけ名残惜しく感じていた。頭と心がふわふわしている。
「キス、もっと」
「ふふ、寝る前にたくさんしよっか。中也からは、私が贈ったプレゼントの何倍も貰ったしね。君の気が済むまでしよう」
「それ、約束な」
 そして俺たちは「いただきます」をふたりで云い、今日も食事をする。