弥生

2022.3.26

 太宰が俺の家に居候し始めて3ヶ月目。特に大きな喧嘩もなく、彼奴との生活にしては平和な毎日だと思う。弁当も毎日俺が作って持たせてやっている。ある日、太宰が「おかずを多くしてくれ」と云うからなんの気もなしに理由を聞いてみた。どうやら社員たちに、おかずのお裾分けをしていたらしい。太宰の野郎は俺が作った弁当だというのに得意げにしていた。でも、おかずを全部食べられなくて不満だったみたいだ。こういう太宰を見れるのは貴重なのでもう少しそのままでいようと思ったが、俺の料理にそんな価値があるとは知らず、需要があるなら作ってやってもいいかと思った。だから今は、太宰の弁当とは別に社員用のおかずを作っている。探偵社も、事件が立て込んで昼食を食べる暇もないくらい忙しい時もあるだろうに、タッパーはいつも空になって帰ってくる。勿論、太宰の分もだ。
 ある日突然探偵社から入金があったので、俺は太宰を問い詰めた。賄賂だったら嫌だろ。どうやら、社員寮の建て替えは探偵社都合なので、居候先に補助金が振り込まれるらしい。補助金があるなんて聞いていなかったし、第一、あの野郎なんで俺の口座を知っているんだ。そっちのほうが余程問題だ。ひとまず、賄賂ではなかったようで安心した。毎日社員のおかずを太宰に持たせて行っていたら、太宰から「国木田くんが『補助金をもっと出そうか』と云っていたよ」と伝言があった。正直、金には困っていないし、全て手作りのため社員分を含めても補助金内で収まっていたので「太宰が迷惑を掛けているだろうから必要ない」と太宰に返事を頼んだら「国木田くんが泣いていたよ」と聞いた。国木田、あいつは太宰の迷惑噴射機っぷりに迷惑しつくしているんだろうな。分かるぜ。太宰はジト目でこっちを見てきた。事実を云ったまでだろ。専用の弁当を用意してやってるんだから、それくらい我慢しろ。子供かよ。

 今日は3月3日、雛祭り。こういうイベントの時は、献立をどうするか迷わなくていいので楽だ。太宰があまりにも美味しそうに俺が作った料理を平らげていくので、毎回その姿がもう一度見たくなって、コンビニ弁当で済ませろとは云えなくなってしまった。こんな筈ではなかった。もっと適当にやるつもりだったのだ。ここまでしなくても、契約はきちんと守れるだろう。詳細は決めていないので、どう解釈するかも自分次第だからだ。しかし、食べることに関して殆ど興味がなく、レトルト食品で栄養を摂取していた太宰が、今夜の献立を聞いてくることがあるのだ。俺が作った料理で身体を、その血肉を作り、いつも「美味しい」と云ってくれるだなんて。相棒だった頃とはまた違う高揚感があった。こんな感覚を俺にさせるだけさせて、彼奴はやっぱり狡いと思う。それだけは変わっていない。
 おかげで、ますます料理に熱が入るようになった。だから今日もちらし寿司とハマグリのお吸い物を作った。出来上がった寿司とお吸い物をテーブルに配膳する。
「「いただきます」」
 これを云うのもいよいよ習慣になってしまった。先に食べろとも云えない。そう云った所で、太宰がなんだかんだ待っていることに、俺は気付いてしまった。そうすると必然的に「いただきます」をふたり揃って云うことになる。こんなことはもしかしたら初めてだったかもしれない。羊の頃は、自分以外の食糧も用意しなければならなかった。まとまった食糧を手に入れられることは少なく、順番を決めてその都度食べ物を配っていた。いつ敵に襲撃されるか、もしくは仲間が助けを求めて帰ってくるか分からない状態だったので、全員揃って食べることも滅多になかった。
 早速ちらし寿司を口に運ぶ。甘くなりすぎるのが嫌だったので、桜でんぶは少なめだ。錦糸卵もうまくできたと思う。
「今日も美味しい。……中也のくせに」
 太宰はたまにこういうことを云ってくるが、
俺はもう気にしていなかった。太宰はそう云いつつも、自分が食べると云った分は必ず食べ切ることが分かってきたからだ。太宰はいつも食事に集中してしまうため、本格的に食べ始めると会話はなくなってしまう。しかし、空になっていく皿と太宰の表情を見ているだけで「今日も作って良かった」と思う。言葉を交わすのは主に食事後に茶を飲んでいる時だ。
 今日は昨年の12月頃から漬けておいた梅酒を出した。酒は普段、各々好きなように飲んでいる。俺はワイン、太宰は日本酒を飲むことが多い。酒は以前から好きだったが、漬けてみようとまで思ったのは初めてだ。どんな出来栄えだろうか。
「自家製で漬けると、こんなに美味しいんだねぇ」
 太宰が美味いと云うならこれは美味いんだろう。安心した。俺も一口飲んでみると、市販の梅酒では味わったことがない豊かな風味が広がった。今は出していないが、漬けてある梅の実も美味いだろうなァ。
「実も食べるか?」
「ううん、もう少し漬けておきたい。その方がおいしくなる気がする」
「そうか。じゃあ、また今度な」
 楽しみが増えたな。
「そういえば、これも今日までだね」
 太宰が指さしたのは、テーブルの上に飾ってある陶磁器製の立雛だった。昔からあるデザインというよりは、洋風のインテリアにも合うようにデザインされている。桃の花の絵柄がボーンチャイナの白によく映えていた。この立雛は姐さんからプレゼントされ、毎年2月頃になると隣にある姐さんの家に、梅の花をもらいに行くのだ。女雛と男雛はくっついているが、後は一輪挿しができるようになっていて、水を入れるための穴はそれぞれに開けてある。立雛には梅が二本、挿してあった。
「別に、行き遅れるとか気にしてねェし、そもそも結婚だなんて想像できねェ。俺は男だし。3月いっぱい飾ってもいいけどな」
「ふーん。次は何飾るの?」
「はるだからなぁ。こうほはいっぱいあるぜ」
 俺は何杯目か分からなくなってきた梅酒のグラスを煽った。太宰が喜ぶ顔に、こぢんまりではあるが立雛と梅。あぁ、酒が美味いなァ。
「中也、そろそろ梅酒飲むのやめなよ。ペースも早かったしさ」
「うまいから……もういっぱいだけ!」
「ほら! 完全に酔い回ってるじゃん! ここで寝ないでよ。ちゃんと湯たんぽとしての責務を果たしてよね」
 確かに酔いが回っているのだろう。体がポカポカしているし、なんだか眠たくなってきた。皿洗い、めんどくさいなァ……。

 俺はその後寝てしまったらしい。うっすら目を開けると真っ暗の中に天井がおぼろげに見えて、布団の重みを感じた。どうやらここは寝室らしい。仰向けの体勢から体を捩って横向きになる。まだ酔いが醒めきっていなくて、頭はまだぼんやりしていた。隣に太宰が居ない。通りで背中側が寒いと思った。
「あ、中也起きたの」
 寝る準備が整ったように見える太宰が寝室にやってきた。
「運んでくれて、ありがと」
「君さ、ほんとに体重増えたよね」
「……は?」
 何を突然云い出すんだ此奴は。
「ギルドの時も思ったんだけどさ、私が幹部やってた時より増えたよね。ま、中也の場合脂肪が増えたんじゃなくて筋肉が増えたんだろうけど」
「わるかったな! おもくて!」 
「違うんだよ、中也の体重は別に増えたっていいんだよ。私が知らない間に変わっちゃってさ。それがなんか、嫌だと思ったんだ」
 太宰はそう云うと、布団の中にモソモソと入ってきた。布団の外の空気が入ってきて少し寒い。
「そんなん、しるか」
 文句だけは伝えなくてはと思い、俺は太宰の方に体を向けた。
「だから今の生活は、私なりの埋め合わせなんだ。君をもう一度、知りたい」
「そういうことは、おれが素面のときに云えよ、ばか」
 明日起きたら忘れてそうじゃねェか。大切なことは、面と向かって云ってこい。
「君が酔ってないと伝えられそうになかったからさ。なんだか恥ずかしくて」
 

 ――でも、忘れさせる気はないからと太宰は付け加え、布団を被ったまま俺に覆い被さった。何をするつもりなんだろうと思ったが、殺意は全く感じられなかったので俺は静止していた。太宰はすぐに俺の頬に片手を添える。そして唇に、柔らかい感触。太宰の唇だった。酔いが醒め切っていないとはいえ俺は吃驚して、何も云えなかった。太宰は俺の上から退いて元の位置に戻ると、横向きに寝転がり俺を正面から抱き寄せた。
「今日はもう、お眠り」
 太宰は俺の背を撫でる。正面から抱きしめられると、久しぶりに太宰の匂いを感じた。汚濁の後、おぶって拠点まで運んでくれたこともあったっけ。その時に感じていた太宰の匂いだ。血や火薬のニオイはもうしないけれど、俺をこの世界に戻してくれるただひとりの男。そういう人がひとり居るというだけで、本当は、安心している。絶対に云ってやらないけれど。安心した俺は、カタワレの薄い胸に鼓動を感じながら眠りに落ちた。