太宰が俺の家に来て11ヵ月が過ぎた。今年ももう年末が見えてきたか。
先月は風邪をひいてしまった。どんな人にも、俺は借りをつくりたくない。俺の力を使う場所がポートマフィアならなおさらだ。依頼された任務は、完璧にこなしたい。俺が少し無理をして任務を完璧に遂行できるなら、俺は無理をする。どうやらその小さな無理の積み重ねが疲労に繋がり、風邪をひいてしまったらしい。今までだって、たまにこういうことがあった。学習しないのは自分でも愚かだと思うが、貢献したい気持ちが勝ってつい無理しすぎてしまうのだ。
意外なことに、太宰が俺の看病をしてくれた。彼奴に、看病なんてできたんだな。どちらかというと太宰はいつも看病される側だった。一緒に過ごして分かったが、太宰は探偵社に入って怪我が減ったと思う。その方がいい。
「弱っている中也を長い間見たくない」と云われた。彼奴は俺が苦しんで喜ぶような一面がある。ただの人工物、バケモノかもしれない俺が、人として苦しむ姿を見るのが大好きなのだ。本当に趣味が悪い。そんな奴が看病を素直にしてくれた上に、そんな言葉まで云われてしまったら、俺はその言葉を受け容れるしかない。だからこれからは、自分の限界をきちんと把握して休もうと思う。からかう様子もなく、本気で云っているようだったから俺も応えてやろう。心配してくれたことが充分に伝わってきた。
今日は、マフィア管轄の畑で芋掘りをした。血生臭い仕事ばかりではないものの、表には出せない仕事ばかりしている俺たちだ。たまには自然とふれあってリフレッシュしてほしいとのことで、この芋掘りは毎年行われている。芋掘りの期間があり、その期間内で1回以上参加しなければならない。これはある種、職務の一貫なのだ。各々日にちをずらして日常業務に支障が出ないようにしてある。芋掘りのためにスケジュール調整をしているのだ。芋掘りなんて、と思うかもしれないが、みんな案外楽しんでいる。好評だからこそ続いている行事なのだ。芋掘り前は仕事を残さないようみんな必死だ。この日のためだけに、俺は土まみれになってもいいように作業着を用意している。姐さんもさすがに着物では参加できないので、この日だけはラフな服装だ。ガーデニングも家庭菜園もやらない俺にとっては、滅多にない土に触れる機会だった。やっぱり、自分で収穫するのはやりがいがある。もし、自分で育てて収穫までできたら楽しいんだろうな。今は太宰が居るから、例年よりも多めに芋を掘り、帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り、中也。さつまいも、たくさん掘れた?」
「ほら、この通りだ」
俺は両手の、芋がたくさん詰まったビニール袋を太宰に見せた。
「私が居るからって、掘りすぎじゃない?」
「一人だと、なかなか料理の種類を作れないんだよな。色々試してみたくて、ついたくさん掘ってきちまった」
「さつまいも料理週間かぁ」
「嫌か? さつまいも」
「一人暮らしの時は全然食べてなかったからさ。久しぶりだなと思って」
俺の家に来る前は、出来あいの弁当やカップ麺ばかり食べていた奴だ。当然だと思った。
「それなら良かった。早速焼き芋を作ろうと思うんだが、おやつに食べるか?」
太宰はすぐに「食べる」と云ってくれた。ちょっとしたことだが嬉しい。
「その前に、新聞紙に包むか」
「芋焼けるのに時間掛かるでしょ。先に焼きなよ。私が包んでおくからさ」
おぉ、太宰が手伝ってくれるとは。林檎の皮を剥けるようになってから、太宰は少しだけ料理に興味が湧いたみたいだ。気分が乗る時はこうして何かやろうとしてくれる。
「ありがと。焼き芋用の鍋、セットしてくるぜ」
俺は早速キッチンの棚から焼き芋用のホーロー鍋を取り出した。石焼き芋ができるように、石もある。鍋に石を敷き詰めて、洗ったさつまいもを2本鍋の中に入れ、フタをした。鍋に火をかける。これで暫く放置だ。
「焼き芋用の鍋なんてあったんだね」
太宰はダイニングテーブルに新聞紙を敷いて、さつまいもを包んでいた。
「毎年この鍋で焼いてるんだぜ。おいしく焼けるから、楽しみにしてろよな」
俺もさつまいもをひとつずつ新聞紙に包んでいった。この約一年間、ふたりで一緒に何かをすることが嫌でも増えた。太宰がマフィアに居る時は、任務を一緒にこなしていただけだったが、任務以外のことを一緒にするのも悪くない。自分でもよく分からないが、安心感がある。太宰は俺のことを、よく分かっているからだろうか。ずっとこの生活をしても、いいのかもしれない。今もこうしてさつまいもを新聞紙に包んでいるだけだけれど、こんなことでも、ふたりで作業しているだけでただの作業が少しだけ色付くんだ。
15分程してさつまいもを裏返し、再び鍋にフタをした。
「結構かかるんだよね、焼き芋って」
すっかり芋を包む作業を終えた俺たちは、温かい緑茶を飲んでいた。
「まぁ、芋って結構デカいし。そういえば太宰もマフィアに居た頃は芋掘りしてただろ? 何作ったんだ?」
「私はねぇ、強制参加だから仕方なく芋をひとつだけ掘って、コンテナの外で焼いて食べてたなぁ」
「そうか。手前の家、つーかコンテナ、電子レンジさえなかったもんな」
任務で用があり、仕方なく太宰の家に行ったことがあった。とても家と呼べるようなモノではなく、家電も最低限で冷蔵庫と、辛うじて換気扇しかなかった。俺でさえ家具は少なかったものの、アレと比べたらちゃんとした部屋に住んでいたというのに。
「あの頃の私は、本気でいつ死んでも良かったから。今よりもっと、死にたかった。住居なんてどうでも良かったし、お金もあったから適当に何か買えば良かった。焼き芋はある意味、あそこで唯一した料理さ」
「その焼き芋、美味しかったか?」
「うーん、別に。食に興味なかったからなぁ。ただの食べ物としか思ってなかったし、最低限食べられれば良かった」
太宰にとって良いかは分からないが、今の太宰は大分変わった。自分の好みを見つけたし、林檎の皮剥きもできるようになったし、手作り弁当は完食してくれる。今焼いているさつまいもは、美味しいと思ってくれるといいな。そう思いながら、芋が焼けるのを待った。
暫く経ち、焼き芋の様子を見た。竹串で刺してみると、スッと通った。どうやら頃合いのようだ。熱いので鍋ごとダイニングテーブルに持って行き、鍋敷に置いた。取皿と、アルミホイルも用意してある。
「焼き立ての焼き芋だぞ」
「……如何にも熱そう。どうしよう」
これでは確かに食べられない。取り敢えず芋を皿に乗せたい。俺は鍋つかみをしたまま1本芋を掴んで皿に乗せた。まだ熱くて割れないだろうから、ついでに半分に割ってやった。
「わぁ、美味しそう」
「これは美味そうに見えるのか?」
「そうだね。そう見えるよ」
アルミホイルを芋に巻き付けながら、太宰が云った。そして「いただきます」と云ってかぶりつこうとするが、まだ熱いらしくふーふーと息を吹きかけて冷ましていた。俺もアルミホイルで半分に割った芋を持てるようにして、火傷しないように少しだけかじった。
「美味いな」
「うん、美味しい」
「掘ってきて良かったぜ」
「焼き芋、こんなに美味しいんだね。……あ、中也、半分交換しよう?」
「おう、いいぜ」
半分に割った片方の芋を太宰の皿に乗せ、太宰の皿に乗っていた半分の芋を貰った。
「中也のやつの方が甘かったら嫌だからね」
「そんなに気に入ったのか?」
「だって、あの時の味と全然違うんだもの。ずっと焼き芋でもいいかも」
嬉しそうに焼き芋を頬張る太宰。そんな姿を見ていると、俺まで嬉しくなる。
「大学芋と炊き込みご飯は作るって決めてあるから、全部は駄目だぞ」
「あっ、そっちも美味しそうだねぇ……」
「他にも調べて作ろうと思ってるんだ。良さそうなのあったら、教えてくれよ」
「スイートポテトとか、どう?」
太宰は甘味が好きなのだろうか。料理はするけれど、スイーツはあまり作ったことがなかった。この際、挑戦してみてもいいのかもしれない。
「作ったことねぇけど、やってみるぜ」
「うん、楽しみにしてる」
美味しく作って、また太宰が喜ぶ顔を見れるといい。
ゆっくり緑茶を飲みながら焼き芋を食べ、何を作るか検索していると、太宰が話しかけてきた。
「私、来年も中也とこうして暮らしたい」
俺は少しだけ吃驚した。俺の家なんて、用が済んだらさっさと出ていくと思っていたからだ。
「それは、俺と一緒に住みたいってことか?」
「そうだよ。やっぱり中也は嫌かい?」
「……そんなことは、ない。でも」
「でも?」
「俺の中では、一緒に過ごすうちに、太宰が隣に居るのがすっかり当たり前になっていたんだ。一方で用が済んだら出ていくと思っていたから……。ちょっと、気持ちが追いついてない」
これは本音だ。太宰と過ごす日々は、予想に反してあまりにも穏やかなものだった。ふたりで過ごす日常は、ひとりでは味わえないぬくもりがあった。だから、決められた期間の1年が終わってしまうのは、正直寂しい。寂しく思いつつ、太宰という男にこういう形で執着してしまう自分が信じられなくて、何とも云えない気持ちだった。
「ごめんね、吃驚させて。料理作ってくれる中也も好きだけど、こうしてふたりの時間が、ゆっくり流れている時が心地良いんだ。だからね、これからも一緒に住みたいと思ったんだ」
「料理してる俺は、好きなのかよ」
「今では基本的に、中也のことは好きだよ。とっても愛おしい」
「なっ……!」
彼奴に「愛おしい」なんて云われる日が来るとは思っていなかった。けれども、太宰がポートマフィアに居た時だって、彼奴なりの優しさを感じた時があった。16の時、魔獣ギーヴルに荒覇吐をぶつける前のことだ。ギーヴルに荒覇吐をぶつけるということは、俺が人工物か、本物の人間か分からなくなることを意味していた。太宰は俺に、時間をくれたのだ。ヨコハマが消滅するだけでは済まされないであろう瀬戸際だった。そんな時に、彼奴は俺に時間をくれた。
彼奴の優しい所を俺は知っている。だから、あんな奴でも「愛おしい」と思うことはおかしくないと思う。俺に対してそう思ってくれた太宰を、俺は信じたい。
「君が以前云っていた通り、どうしても嫌いな所は確かにあるけどね。それで、来年からも一緒に過ごしていいかい?」
「条件、決めなきゃな」
「条件?」
「手前のことだ。条件があれば、太宰は居てくれるんだろ?」
信じたいと思ってはいても、今までの経験上、そう簡単に俺の願いを叶えてくれる奴ではない。それは承知の上だ。
「馬鹿だね、君は。条件なんて、必要ないよ」
「本当に?」
「そもそも、私から『一緒に住みたい』って云ったんだよ? それ以上、何を望むのさ」
「手前のことだから、何かあるだろ?」
悪知恵が働く奴だ。何かあるに決まっている。
「あーもう。私は君が居れば、充分なの! 確かに、強いて云えば中也が作ったご飯は食べたいけどさ。でも、条件には入れない。強制にはしたくない」
「ほら、やっぱりあるんじゃねぇか」
「中也のご飯より、君が隣に居ることの方が大事なんだから! 分かってよ……」
おかしいな、太宰はやけに真剣だ。
「嘘だろ? 手前が本気で条件なしで俺と住むっていうのか?」
「まだ疑ってるわけ?」
「悪ぃけど、疑ってる」
「分かったよ。じゃあ、今年からの私の態度で判断してよ。マフィアに居た時は確かに、君に嫌がらせをたくさんしたからね」
あの時嫌がらせをしていた自覚はあったんじゃねぇか。今年から、か。湯たんぽ代わりにされはしたが、結局俺も太宰の体温が恋しくて離れられない。食事を作ると、美味しそうに食べてくれる。弁当を残してきたことがない。豆まきを久しぶりにした。一緒に眺めた夜桜は、いつもより綺麗に見えた。ドライブや遊園地にも行った。遊園地で太宰が苦手なジェットコースターに付き合ってくれた。大変な墓参りを、来年からは太宰が手伝ってくれると云ってくれた。風邪をひいたら看病をしてくれた。……そうか。俺はやっと理解した。彼奴、この1年は嫌がらせをしていなかったのか。
「手前らしくねぇな。俺に嫌がらせをしないなんて」
「そうだよ。それだけ、君との穏やかな日常が好きになっちゃって、『いつまでも続けばいいな』なんて思っちゃったんだよ。この私が」
「ははっ、それは傑作だぜ。散々嫌がらせされてきたのに、俺も大概だよな」
「それじゃあ、認めてくれるんだね?」
「あぁ、勿論」
そうしたら太宰が立ち上がったから、ハグするんだろうと思った。したいことも、何となく分かるようになってしまった。ハグも何回もしている。嫌い合っていたのにおかしいとは思うが、何故だが嫌ではないのだ。机の外に出て太宰の腕に包まれた。温かい、もう手放せないぬくもりだ。
額に落ちた唇の感触を幸せに思いながら、俺はもう一度太宰の体温を味わった。