マフィア時代。某駄菓子を、煙草の口直しに持っているちゅやさんを書きたかっただけ。
9月特有の、湿気混じりの生ぬるい風が頬をなでる。とあるビルの屋上の欄干に腕を置きながら、中也は煙草を取り出した。1本銜え、ライターに火を灯す。風に弄られて消えないように、手で覆いながら火を点けた。しっかりと点いたのを確認し、ライターをポケットにしまう。紫煙を肺の奥底に溜め、ふぅとゆっくり息を吐き出す。吐き出された煙が風にゆられて消えていった。
仕事終わりの一服は、やはり格別である。星空と眼下に見えるネオンが目に沁みる。今日の任務は、とある組織の殲滅だった。作戦を立てたのは太宰だ。何度も奴の作戦に従ってきた。計算しつくしてあり、不測の事態になんてまず陥らない。すべて、太宰の掌の中だ。今回の作戦も相変わらず正確で無駄がなくて、そして無情だった。俺のこと以外は。敵の罠の位置が俺にだけ知らされていなかったり、凡そありえない場所に爆弾が仕掛けられていたりするのだ。ターゲットはいつも俺。最初はあの太宰でもミスがあるのだと思っていたが、それはどうやら違うらしい。インカムから聞こえてくる太宰の声の調子や態度から漸く分かってきた。恐らく嫌がらせの一種なのだろう。基本的にマフィアの仕事というのは危険がつきものである。戦闘となればなおさら。仮にも作戦を共にする仲間をこんな目に遭わせるなんて、本当に信じられない。しかしながら、あの太宰なのだからそれくらいのことはするかと妙に納得してしまうのも事実だった。まったく、ため息が出る。最近の任務の作戦は、殆ど太宰が立案している。だから毎度毎度、本来する必要のない心配をする羽目になっているのだった。所詮嫌がらせと思って油断してはいけない。割と本気(本気の本気なのかもしれない)で殺しに掛かってくる。
あぁ、駄目だ駄目だ。折角の一服が不味くなる。物思いに耽っていたおかげで知らぬ間に短くなっていた煙草を、携帯灰皿に押し込める。手は自然と懐の煙草へ伸びた。2本目を取り出し、先程と同じように火をつける。風が強く吹いて、上手く火が点かない。余計にイライラする。暫く粘ると無事に火は点いた。煙が身体の中に沁み渡ると、少し落ち着いた。
俺は試されているのだろうか。そう考えようとしたこともあった。それは無理な話だった。試すにしては、あからさますぎるし本気すぎるからだ。そう、これは紛れもない嫌がらせなのだ。試されていた方がまだマシだった。あっちの期待に応えることが出来れば、信頼もきっと深まるものだと思う。こちらもその方が断然燃える。そこでふと気が付いた。まさか、そう思うことを想定しての嫌がらせなのか……? イライラは最高潮に達した。
その時、後方にあるドアがガチャリと開いた。振り向くとそこには思考の渦中の人物、太宰が立っていた。片手を振りながらこちらに向かってくる。
「中也~、こんな所で何休憩しちゃってるのさ」
「は? 休憩? 俺の分の仕事はもう終わらせたはずだが」
いかにも嫌そうに、ふぅーっとため息混じりの白煙を吐き出す。
「私の仕事はまだ終わってないの! 私たち、相棒でしょ? あのね、私は今日囮になった挙句、予定より3発も余分に殴られたのだよ? 少しくらい気を遣ったらどうだい。例えば書類を手伝う、とか」
「自分がやりたくないだけだろ、それ。そんな言葉、手前にだけは云われたくねェよ。大体、到着が遅れたのは手前が変な所にトラップ仕掛けたからだろ! 自業自得だ!!」
「あれ? ばれてた? 素敵なプレゼントだったでしょう?」
「全っ然素敵じゃねェ。こっちは犠牲を出さないために、無駄な動きを強いられたんだからな」
「でも、無駄な動きが必要だったのは君だけだったでしょう? 流石の私も、生死を掛けた任務の時に他人を巻き込んだりしないさ。君以外に被害を出さないってのもなかなか大変なんだからね?」
「なぁ、なんで俺にそんなことするんだ?」
呆れた声で俺は云った。
「だって、私の嫌がらせを受けてる時の君、とっても嬉しそうだから。最初は出来心だったけれど、あんな顔するなら毎回考えてあげてもいいかなって思って。ねぇ、中也ってマゾなの?」
まるで悪気はない、という風に太宰は云った。
「俺は…、俺は」
否定しようとしたが、否定しきれない自分がいることに気が付いた。嬉しい?俺は嬉しく思っているのか?心が掻き乱される。
「なぁんだ、やっぱり気付いてなかったのか。君ってばほんと、莫迦だよね。こともあろうに、私を信頼するなんて。流石に君でも心の底では分かっていたはずだよ。あれだけ執拗に君だけを狙っていたんだ。それもあからさまにね。君さえその気になれば、証拠を回収して首領に私を突き出すことも出来たはずだ。でも、ずっと君はそれをしなかった。ねぇ、そろそろ私、自惚れてもいいかな……? 君からのラブコールには、全力で応えねば。……あれ、煙草わすれちゃったみたい。中也、1本頂戴?」
俺の隣で懐を探り、煙草がないとアピールする太宰。俺は、それどころではなかった。太宰のことを信頼? 嫌がらせを嬉しそうに受ける? この俺が? あまりの衝撃に、そして、イライラとした衝動を抑えきれずに煙草を噛んでしまった。あぁ、まだ半分程残っていたのに。この、なんとも云えない気持ちを込めて、吸い殻を携帯灰皿にクシャっとねじ込む。
「ねぇ、中也、聞いてる? 1本頂戴ってば」
自分の中に否定の感情は一切流れてこなかった。むしろ、その言葉がぴったりだったようで、気持ちが軽くなった。こんなの認めてたまるか、と思うがぴったりと表現されてしまった感情には、もう抗えなくて。結局は認めざるを得ないのだ。すべて太宰の掌の中。
「……手前には、これで充分だっ」
気持ちには抗えないと分かっている上で、それでも何か抗いたい。なけなしの嫌がらせをすることにした。太宰に紺色の箱を押し付ける。要件は済んだ。休憩もした。足早に立ち去ろうと身を翻す。
「え、箱ごとくれるの……ってこれ煙草じゃないじゃん! ココアシガレット? 何これ。ちょっと中也、待ってよ」
立ち去るより先に肩を掴まれる。
「何だ太宰、これ知らないのか?」
仕方ないので、振り返らずに応える。
「えぇと、食べ物? だよね?」
「駄菓子だよ」
「君、駄菓子好きだっけ? あぁそうか、ちびっこマフィアだからだね! なけなしのお小遣いで買ってるのかい……? もしかしてさっき吸ってた煙草もこれだったの?」
「ちげーよ!! 煙草の口直しに持ってるだけだ! 動き回ってる間はコーヒーや酒は飲めないだろ」
振り向くまいと思っていたが、思わず振り向いてしまった。太宰と視線がかち合う。どこか嬉しそうな表情だった。なんだ、奴もこんな表情するのか。きっとこの表情は、俺しか知らない。そう思うと、優越感が湧いてきた。そうか、俺は太宰を独り占めしたかったんだな。
「やっとこっち向いた」
それを云うと同時に、口にココアシガレットが突っ込まれた。そして、半分飛び出たシガレットを覆うように口付けられた。いつもならここで流されてしまうが、今日の俺は違う。至福の時間を邪魔され、あまつさえ気付きたくもなかった気持ちに気付かされたのだ。まだ仕返し足りない。それでも太宰とこういうことをするのは嫌いじゃなかった。ミントの爽やかさが口内に広がっていく。暫く唇の感触を味わい、口を割って舌が入り込んでくる前にシガレットを歯で折った。ポキンと音がした。唇が離れる。少し、ほんの少しだけ名残惜しい。
「えぇ、この雰囲気で折っちゃう? いつもなら流されてくれるのに」
「嫌がらせだよ嫌がらせ」
「随分と可愛いもんじゃないか」
「うるせェ……。おら、とっとと残りの仕事終わらせるぞ」
太宰の手首を掴み、ふいっとドアの方を向き歩く。
「じゃあ、仕事終わったら中也の部屋行っていい?」
「来んな。さっさと寝させろよ。なんのつもりだ」
「嫌がらせだよ嫌がらせ、といいたいところだけどこれはご褒美かな?」
「ほんっとなんなんだよ、手前は」
「あのね、私ちゃんと気付いたんだよ? さっきキスして唇離した後、物欲しげな顔してた。だからこれはとても残念なことだけれど、嫌がらせになんてならないのさ。むしろ歓迎してほしいくらいだ」
やっぱり見抜かれてた。ふつふつと怒りと羞恥がわいてくる。太宰の手首を掴む手に、力が入る。
「くそ、手前、死なす!!」
「それは、肯定と取っていいのかな?」
やっぱり一矢報いたい。ふと思い浮かんだ行動に迷いがあってはいけない。衝動的に行動することを決めた。太宰の手首を思いっきり引っ張って、こちらに倒れ掛かるタイミングに合わせて口付けた。
「……わーお、君からキスしてくれるなんて今日は熱烈だね? わかったよ、今夜は一等甘く抱いてあげよう。早く欲しいだなんて強請っても、駄目だからね? 天国見せてあげる。覚悟しといて」
衝動のまま口付けたはいいが、太宰の言葉から察するに、とんでもないことになりそうだ。驚く顔が見たかっただけなのに。俺ばかり、思い通りにならない。あぁ、イライラする。怒りにまかせて口内に残るココアシガレットの片割れをガリっと噛み砕く。煙草の苦みの残滓と共に、砂糖菓子の甘さが広がった。