祝われなかった誕生日

2020.06.7

 誕生日。
 自らがこの地上に産み落とされた日。世間一般的には、今「生きている」ということを感謝する日だ。尤もこの私、太宰治にとっては「生きる」ことは忌避したい対象であり、感謝だなんて感情は全く湧いてこない。人々の行動原理が手に取るように分かってしまう私にとって、生きることはとてもつまらないし面倒くさい。だからこそ生物として一度しか体験できないという「死」というものに、とても惹かれている。死ねばこの大層つまらなくて面倒くさい「生」から解放される。ついでに、無駄に回る頭で何も考えなくてよくなる。せめて、頭が普通ならきっと生きやすかったのだろうと思う。この頭は知りたいことも、知りたくないことも容易くはじき出してしまう。知りたいことはともかく、一ミリたりとも知りたくなかったことを無意識的に知ってしまった時の絶望感と云ったら。まァ、その絶望感ですら繰り返し味わううちに耐性がついてきてしまったようで、今はただ虚しさだけが心に広がるのだけれど。
 というわけで、今日は私の誕生日だ。あーあ、また生き延びてしまった。朝、目覚めてふと目に入ったカレンダーを見たら、忌々しき自分の誕生日だと気付いてしまった。カーテンから差し込む光を見るに、今日は快晴らしい。のそりと起き上がりカーテンを開けると、燦々と太陽の光が降り注いだ。やけに眩しく感じて腕で光を遮る。今日は入水日和だ。昼になったらいい川を探そう。朝は暇つぶしに新聞でも読もうと思い、玄関へ向かう。社員寮のドアに取り付けられている郵便受けをチェックする。中には新聞と、封筒が一通入っていた。差出人は書いていない。それどころか住所も宛名も書いていない。真っ白な封筒だった。直接投函されたようだ。実の所、これを見ただけで、既に誰から届いたものなのかも中の文章も分かる。誕生日にわざわざこんなことをする人間は一人しかいない。そう、あの蛞蝓――中原中也だ。文面はというと、「ハッピーバースデイ」それだけ。それだけなのに律儀に封筒に入れてくるあたり、中也らしいと思う。ペーパーナイフで封筒を開封し便箋を見ると、矢張り「ハッピーバースデイ」とだけ書いてあった。便箋を一瞥して封筒に戻し、箪笥にしまってあった四角い缶を取り出す。中にはこれまでの誕生日に中也から送られた、呪いの言葉が詰まった手紙。文言が変わったことは、ただの一度もない。ずっと同じだ。先程届いた手紙を、早速缶にしまい込んだ。
 あぁ本当に、なんて嫌がらせなんだろう。こんなの、祝われていないも同然だ。

* * *

 中也がポートマフィアに入り、ふとした出来事で誕生日を知って、ここぞとばかりに嫌がらせをしてやろうと思った。いつもの喧嘩の延長線のつもりで、バースデイカードと一緒に「負け惜しみ中也」の増刊号を入れてやったのだ。嫌がらせは大成功して、中也は火山の如く激怒した。だからこそ、私の誕生日はどんな仕返しが来るのかと思っていた。当日、中也から真っ白な封筒を手渡しされた。一応警戒して封筒を観察してみるも、特に異常はなさそうだった。「何もしてねェから、早く開けろよ」と云われ開封し、便箋を取り出すとそこには「ハッピーバースデイ」とだけ書かれていた。「何だいこれは?」と尋ねると「別に。ただ、手前は死にたがりだからな。これが一番の嫌がらせだと思っただけだ。それで、感想は?」と聞かれ「最悪だよ、ほんとに」と答えた。すると中也はクツクツと笑い、こう云った。「これから誕生日にはずっと、これ送ってやるよ」
 これが、呪いの始まりだった。
 私にも人の心は残っていたのか、何故かこの呪いの手紙は捨てることが出来なくて、缶の箱にしまっていった。宣言通り、中也は毎年誕生日になるとこの手紙をくれた。だんだんと手紙は増えていって、増えていく度「未だに生きている」と実感させられた。流石に私がマフィアを出奔してから2年間は届かなかったものの、探偵社員として再び出会ってからは、以前と同じように手紙が届くようになっていた。そうだ、そろそろ文句を云ってやらねば。入水のついでに、中也の家に行くことにしよう。私は朝食兼昼食にトーストとサラダを食べてから、入水にぴったりな川を探すため社員寮を出た。

* * *

 人気がない、静かで入水に最適な場所を見つけ、無事に入水した。今度こそ死ねるのか、誕生日プレゼントに「死」をもらうことが出来るかと期待を膨らませながら暫く流れていた。意識が段々と薄らいでいくのを感じ、そのまま流れに身を任せた。
 次に目覚めたいのは、川のほとりだった。流れていくうちに、打ち上げられてしまったらしい。また失敗か。ここは何処だろうと周りを見渡す。入水していると見ず知らずの土地で目覚めることも多々あるのだが、この景色には見覚えがあった。中也の自宅付近の景色だ。風呂場と洗濯機を借りて、ついでに文句を云おう。そう決めた私は中也宅を目指すのだった。芯まで水を吸った衣服は重かった。
 なんとか移動し、中也の自宅前に到着する。迷わずドアノブに手をかけ、中に入る。矢張りドアの鍵は開いていた。
「ちゅーうーやー」
 家の主を呼ぶ。すると、奥から足音が聞こえてきて馴染みのある姿が現れた。
「オイ、来るとは思っていたがなんでンなびしょ濡れなんだよ」
「いやぁ、入水に失敗したと思ったら中也の家の近くでさ。お風呂と洗濯機貸してくれない?」
「どうせ嫌だと云っても無理矢理入って来るんだろ。床汚されるのも嫌だし仕方ねェ、早く入ってこいよ」
「おや、随分聞き分けが良くなったじゃあないか」
「チッ、誰のせいだと思ってやがる」
「ふふ、私のせいに決まっているでしょう?」
 中也からバスタオルを渡され、その場で余分な水分を拭き取る。その後風呂場と洗濯機を借りた。

* * *

 風呂を出ると、私は中也の家に置いておいた服に着替えた。ここまできて分かる方には分かってしまったかもしれないが、実は私と中也は所謂「恋人」という関係にある。その一言で表せるほど単純な関係ではないが、恋人が一番近い関係だと思うのでそう伝えておこう。
 ダイニングに向かうと夕食が出来上がっていた。きっちり二人分用意されている。私はダイニングテーブルのいつもの席へつく。
「流石は中也! 今夜は私の好物ばかりじゃあないか」
「あのな、来るならいつも連絡寄越せって云ってるだろ。この神出鬼没包帯野郎が。何で俺が勘を働かせていつも準備しなくちゃいけねェんだよ?」
「こういう時の中也の勘って当たるよねぇ。私も吃驚だよ」
「それはそうと今日の手前、風呂とメシ以外にも用があるだろ」
「ありゃ、君ってばその勘ホントどこで鍛えたのさ?」
「当たってンならさっさと云えよ」
「分かったよ。中也さ、今日が私の誕生日だからまたあの手紙寄越したでしょ。あれ、いつまで続ける気?」
「手前がマフィアに居た時に伝えなかったか? 『ずっと』だよ。なんだァ、もうギブアップか?」
「ギブアップって何さ。別に勝負してるわけではないでしょう?」
「じゃあ太宰、そんなのさっさと捨てちまえばいい。違うか? 手前は俺が今まで誕生日に送った手紙を捨てずに持っている。手前が実は、ちゃんと本当の意味に気付いているからだ」
 私がマフィアに居た頃、私は中也の誕生日にとびきりの嫌がらせをすることが常だった。しかし、中也はこの手紙を渡してくる以外のことはしてこなかった。誕生日以外の日の嫌がらせは、何倍にもなって返ってくるのに。
「いいぜ、今だからこそ云ってやるよ。俺の口から。その手紙は手前が生きた証だ。生きることに飽いた手前が、なんだかんだいっても生きてるっていう、物質的な証だ。俺は嫌がらせでこれを贈ってるンじゃねェ。そう簡単に死なれちゃ嫌だから贈ってる。だから手前はそれを捨てられなかった。全部分かってるから。俺の気持ちも、光の世界で何とか生きたいっていう手前自身の気持ちも」
「……飼い犬に手を噛まれた気分だ。最悪。はぁーあ、だから最高の嫌がらせなんじゃないか。あの手紙を捨てたら君の気持ちは兎も角、私自身の気持ちまで捨ててしまうことになるんだ。死ぬ理由なんて幾らでも見つかるのに、生きる理由はなかなか見つからなくてね。これに縋らなくてはいけない程、私が生きる理由はまだ薄っぺらいのさ」
「これから分厚くなるだろ? 探偵社の奴らはまァ、手前を受け入れてるみてェだし。あとはこの手紙がだんだん増えて、分厚くなる。生きるってことの重みを知るといい」
「そこまで云われると、なんだかいっそ清々しいよ。じゃあさ、中也」
「なンだ?」
「私、そう簡単に死なないように頑張ってみるからさ」
「あぁ」 
「手紙、来年からは何があっても手渡しで頂戴よ。あっ、あとは今夜みたいに夕食付き、ついでに中也の家に泊まりたい」
「最初の要求は分かった。生きてる重みを、手渡ししてやるよ。後の二つはなァ……」
「えー、誕生日くらいいいじゃない!」
「いや、別に手前が普通に連絡くれればいい話だろ。俺は手前が予告もなく来るのが嫌なだけだ。家に来るならなんつーか、もてなしたいだろ」
「いやいや、私相手におもてなしとか今更? あ、もしかして中也、恋人になったからってむしろ気を遣わせちゃった?」
「クッソ、別にいいじゃねェか。悪ぃかよ!」
「君もこういう関係になってみれば、なんだか可愛いじゃないか」
「手前! 可愛いってなンだ!」
 こういう中也の姿を見れるなら、案外生きてみてもいいのかもしれない。難しいことは抜きにして、直感で私はそう思ったのだった。