・15歳の映画特典/アニメ26話~28話、ほんのりネタバレあり。
・事後の表現あり。
「ねぇ中也、本当によかったの?」
ある海の砂浜に、ぽつりと2人の男がいた。
「あァ。俺に二言はねェ」
今は真夜中。今夜は新月で、ふたりを照らす月明かりさえない。真っ暗闇の中で、ふたりはただぼぅっとそこに存在していた。
「……中也が私と心中なんて、それこそ信じられないよ」
「手前こそ、美女との心中はもういいのかよ? それに、誘ったのは手前の方だぜ」
「真逆、君が了承してくれるだなんて思っていなかったんだよ」
「手前に真逆なんてありえない。俺には分かってる。今の状況を作り出したのは手前自身だろ、太宰?」
「あーあー、折角うやむやにしておいてあげようと思ったのに。ということは中也、君は、全てを知った上でこの案に乗るということなんだね? 明らかにこの状況は、私の意思だよ。私が望んでそうさせた」
* * *
ヨコハマを中心に、日の本をも脅かす大規模な紛争が起こった。犠牲者は一般人にまで及んだ。敵も仲間も含め、積み重なった屍の数は山のようだった。
この犠牲者の中にポートマフィアの首領、森鴎外の名がある。合理主義の権化たる彼が下した、現状を打破する最適解は彼自身の死だった。「死ぬことにしたよ」と、さも当たり前かのように幹部会で告げられた時、中也はくらりと眩暈がした。信じられなかった。しかし、説明を聞くうちに、これが組織にとっての最善手であることは嫌でも理解出来た。理解出来てしまった。そして彼は自身の死について、こう望んだのだ。「どうせなら、中也くんに殺されたい」と。続けてこう云った。「中也くんだからこそ、私を確実に殺せるんだよ」と。
今回の場合、ただ森が死ねば良いというわけではなかった。マフィア内の内部争いに見せかける必要があったのだ。中途半端な見せかけで騙されてくれる相手ではなかった。犠牲者の数やその他資金源への影響、今後への影響を考え、考え抜かれた結論が現首領の死だった。現五大幹部であること、異能力の強さ、異能力以外での戦闘力、そして首領への絶対なる忠誠。それらが揃っている中也はまさに、適役だった。
首領の命令だからと自分に言い聞かせ、絶対の忠誠を誓った森鴎外を、中也は自らの手で殺めたのだった。
外から見れば、森鴎外を裏切ったのは中也である。森鴎外を殺害したのも中也。森は次期首領について特に何も云い残さなかった。しかし、状況的には中也が森を殺したのだから、次期首領は中也ということになる。他の幹部たちと話し合い、事態が落ち着くまで一旦中也が首領ということになった。
半年程経つとあれだけ荒れ果てていた街並みも、普段を取り戻しつつあった。中也は皆から慕われていたし、実力も十分あった。だから、そのまま首領でも良いのではとも云われていた。しかし、中也はこの世界に、意味を見出だせなくなってしまった。ただでさえ、絶対の忠誠を誓った相手を自らの手で殺害したのだ。それにもう一つ、中也には得たものがあった。この大戦で自らの真実を漸く知ることが出来たのだ。待ち望んだ真実を知り、生きる目標を無くしてしまったのだった。もう、この世界で自分がすべきことは、なにも無い……。
空っぽな気持ちを抱えてある日、馴染みのバーで酒を呑んでいたら太宰に出会った。
太宰とはお互い大嫌いと云いつつも、肉体関係があった。恋人なんて論外だし、セックスフレンドとも中也は認めたくなかった。ただそこには、肉体関係があっただけなのだ。体の相性だけはやけに良くて、それを言い訳にして体を重ね続けていた。
何もかも忘れてしまいたくて酒をたんまり呑み、ぼんやりした頭ではまともな考えが浮かばない。なんだか視界がぼやけるな、と思っていたら、涙が頬を伝っていた。口許にまで流れてきた涙を飲み込み、太宰の胸ぐらをつかみ強引に口付けてからこう云った。
「なにもかも、わすれさせて」
その後、いつも以上に激しく中也は太宰に抱かれた。中也の望み通りに太宰は抱いた。快楽に堕ちきっても、心の空っぽな空間は埋まらなかった。中也は抱かれている最中、涙が止まらなかった。太宰は何度も何度も、その涙を拭ってやった。ひたすら抱かれ続け、快楽の波に埋もれながら中也は意識を手放したのだった。
翌朝中也が目を覚ますと、いつもは感じないはずの体温があった。体を重ねた後、いつもは必ずいない太宰が目の前にいた。抱き締められていた。後処理すらされていない。しかも、太宰自身を身に収めたままだった。未だにどろどろした頭では何も考えられず、ただじっとしていた。やがて、太宰は中也が起きたことに気付いた。開口一番、太宰はこう云った。
「私と心中しないかい?」
* * *
稀に冗談で、太宰は中也を心中に誘う時があった。口調も冗談めいていたし、中也も冗談だとはいえ即断っていた。でも、あの時だけは真剣な眼差しだったのだ。そのことに驚いて、すぐには断れなかった。今の自分の状況が頭に浮かんだ。このまま行けば、中也はポートマフィアの首領になる。果たしてそれは、最善なのだろうか。正直な所、中也にとっての首領は森鴎外でしかあり得なかった。それ以外は認められない。ましてや中也自身など。あるとすれば――――太宰、だろうか。どれほど闇が似合おうと、好かれていようと、太宰はもう光の世界に行ったのだ。自ら望んで。暗闇の世界に、太宰はもう、いないのだ。
だからもう、この世界に用はない。未練もない。やるべきことも、全てやり切った。だから俺は、だから俺は今、猛烈に
――――死にたい。
「誤解するなよ太宰。俺は、あくまでも俺の意志で、この提案に乗るんだ。それを忘れるな」
「分かってるって。普段の君なら、私のこんな提案に乗る筈がない。色々な偶然が重なって、私の思惑と混ざってぐちゃぐちゃになって、今のこの状況がある。これは決して君の所為ではない。私の所為だ」
「何を云ってやがる。俺が俺という範疇を超えられなかった、ただそれだけだろ」
「……まったくもって君らしいよ、中也。じゃあ、そろそろ逝こうか」
そして2人は小舟に乗り、確実に深い場所まで移動した。
「今から心中をする」という2人の姿は、普通のそれとは様子が違った。中也と太宰の手首と片足には、手錠がはめられていた。足の手錠は更に鎖を経て、鉄製の錘に繋がっている。手もお互いが絶対に離れないようにと、手を繋いだ状態で縄をしっかり巻きつけた。確実に死ぬためだ。これで中也は、本能的にも異能力を使えない。錘もある。一度沈めば、もう戻ってこれないだろう。
先に錘を海に沈め、目配せをし、繋がれた手をギュッと握り、太宰と中也は水中へと飛び込んだ。衣服が海水を吸い、重くなっていく。海面が遠ざかっていく。ごぼごぼと空気の泡が、水面に昇っていく。沈んで余計に暗くなって、周りも見えなくなっていく。2人は確実に、沈んでいた。
中也は目を閉じて重力のままに沈んでいた。確実に海底に近づいているのを感じる。海水の緩やかな流れが肌を撫でていく。冷たいはずの海水も、さほど冷たいとは思わなかった。今から死ぬと云うのに、不思議と恐怖は感じなかった。
暫く経つと、海面がもう見えないくらい深い場所へと沈んでいた。光が恋しい、などということは思わない。気付いたら存在していた中也にとって、光だの闇だの、善だの悪だのという概念は、後付けにすぎなかった。自分が居たいと思える世界なら、何でも良かった。マフィアで良かったと思う。
更に暫く経った。息苦しい。流石に寒く感じていたが、無理矢理繋がれた手だけは温もりを感じた。脈拍も感じるので、太宰もまだ死ねずにいるのだろう。太宰のことが気になって、中也は閉じていた目を開けてみた。横を向くと、寂しそうな顔をした太宰が居た。「なんだよ太宰、俺が隣にいるのにそんな顔するなよ」と思った。無性に腹が立った。繋がれていない方の腕を伸ばし、太宰の手を握る。太宰は少し目を見開くと、泣き笑いのような表情をした。その表情を見て、中也は本能的に「あぁ、此奴はずっと、寂しかったのだな」と理解した。言葉ではなかったが、じわじわと伝わってくるモノがあった。その手はまだ温かいように感じた。
俺だって、寂しかった。羊に居た時も、マフィアに居た時も、それなりに求められていたと思う。でも、太宰と一緒に居た時が一番生きていた。「中原中也」を生きていた。怒らせてきたり、からかってきたりムカつく時間が多かったかもしれない。それでも、太宰には何も遠慮する必要なく、全てのしがらみを取っ払って接することが出来た。顔を合わせては喧嘩ばかりしていたが、今、本当に冷静に考えてみれば、俺は太宰のことを嫌いになりきれない。趣味や価値観が大幅に違っているし、今の今まで大嫌いと思っていたが、大嫌いだなんて大嘘ではないか。そもそも大嫌いな奴と心中なんて、するわけないではないか。じゃあなんだ、俺は、太宰のことを好き、なのか? だから、太宰の前では涙が止まらなかったのか? だから、死ぬことも怖くないのか? だから冷たいはずの両手を温かく感じるのか?
だからこんなに、死ぬというのに幸せ、なのか?
今までこんな気持ち、俺は、知らなかった。それを太宰に、最期に伝えたくて、肺の最後の空気を絞り出して「すき」と伝えた。口からは空気の泡がごぼごぼと出るだけで、伝わったかは分からない。そしたら太宰が抱き締めてきたから、もしかして伝わったのかもしれない。それから意識がいよいよ朦朧としてきて、俺の世界は暗転した。
* * *
ぴぴぴ、ぴぴぴ、と目覚まし時計の音が聞こえてくる。もう朝らしい。太宰は目覚ましを止め、のそりと身を起こした。
「珍しいじゃねェか、太宰。2度寝、3度寝が当たり前の手前が、時計を1回で止めるなんて」
太宰の隣で寝ていた中也も、目覚まし時計の音で起きたらしい。
「おはよう、中也。……あの時の、夢を見たんだ」
中也が意識を失った後、太宰も中也を抱き締めたまま意識を失った。あのまま何事もなければ、無事に2人は死ぬことが出来ただろう。意識を取り戻す予定ではなかった太宰が目覚めたのは、何処かも分からない海岸だった。あれだけ確実に死ぬ準備をしたというのに、またもや自分は死ねなかったのか。太宰は最早、自らの悪運に嫌気がさしていた。同時に気になったのは心中の相手である中也のことだった。心中しておいて自分だけが助かってしまうことは嫌だった。どうせなら生きる苦しみを、死を望んだ中也にも味わって欲しい。だからこれは、中也を助けようとするのは嫌がらせだ。どうやら、沈んでいく最中に錘の鎖が切れてしまい浮上し、ここへ流れ着いたらしい。その割に手錠と足枷はしっかり2人を繋いだままだった。錠の鍵は海に投げ捨てようと思ったが、よもや助かるまいと思い外套のポケットに入れていた。ポケットを探ると鍵は無事に見つかった。流されていなかったとは。手と足の錠を外し、中也の安否を確認する。彼もまた、生きているようだった。中也が生きていて、良かった。それなら次は、生き延びることを考えなくてはならない。太宰は助けを求めた。
2人は地元民と思しき人に助けられた。怪しまれなさそうな事情をでっち上げて話すと、たまたま部屋も空いているからと云われ、そこで世話になっていた。2ヶ月程経つと体力も随分と回復し、これからのことを考えた。ヨコハマへ戻るのか、否か。
「中也は、どうしたいんだい? それともやっぱり、今でも死にたいと思ってる?」
「もう、心中するのも自殺するのも御免だな。体調を戻すのに手一杯で忘れかけていたが、太宰に、伝えたいことがある」
「うん。なぁに?」
「好きだ」
「水中で、中也が最後に伝えたかったこと、だね」
「気付いてたか。マフィアじゃない生活も、いいかもしれないと思った」
「うん」
「でもそれは、太宰がずっと側に居てくれたからだ。俺が俺で居れる場所は、太宰の隣だ」
「それで?」
「2人で一緒に暮らしたい。財産は置いてきたから金はねェけど、アパートでも何でもいい。今から仕事探して働いて、探偵社でもマフィアでもない、ただの人として太宰と生きたい。マフィアとしての俺は、やっぱり死んだんだ」
「私もね、探偵社員としての役目はもう終えたと思っていてね。私たちがいなくても、あの子たちはもうやっていける。私たちが居ないくらいで壊れてしまうような組織ではなくなったよ、探偵社もポートマフィアも。だから今度は、私が中也の提案に乗るとしよう」
「本当に、いいのか? 手前は俺のこと、大嫌いじゃないのか?」
「本当に嫌いだったら、どんな手を使ってでも相棒になること自体を拒否したさ、私なら。それをしなかったのは、やっぱり君のことが気掛かりで仕様がなかったのと……」
「なんだよ?」
「本気で心中したいと思うくらいには執着していて、どうしようもなく好き、ということさ。ということで、これからもよろしく頼むよ」
2人の生活は、こうして始まりを迎えたのだった。
* * *
2人が所謂一般人として過ごし始めて、早2年程経つ。最初の頃、争いがない事が中也は落ち着かなかった。太宰からしてみれば「普通なんてこんなもんだよ」ということらしい。それでも少しずつ、当時からしたら「ぬるま湯」に染まっていった。周りを警戒してしまう癖は未だに抜けないが、このゆったりと流れる時間も悪くないと思う。
太宰はふと思い立って書いた私小説をネット上にアップしたところそれがヒットし、それがきっかけでスカウトされ、小説家なんてものをしている。編集者にさえ顔出しは絶対しない、ネット上で全てを済ませることを条件に仕事をしている。
中也はもともと衣服に拘りがあり、偶然見かけて一目惚れした洋服ブランドのショップ店員をしている。接客なんて今までやったことがなかったが、持ち前の兄貴肌と、客の気持ちを考えた中也の接客はとても好評価だ。
「……今の生活が、未だに信じられない時がある。まるで夢のようだ」
「これもまたきっと、ひとつの夢さ。最初はむず痒そうだったものね、君」
「案外普通に、生きていけるモンなんだな」
「そうだとも。何せ、私の隣には君が居るから」
「そうだな。俺の隣にだって太宰が居るから、な」
そして2人は、顔を見合わせ微笑んだ。これもひとつの、夢のカケラ。